×

連載・特集

続 年金もらい忘れていませんか? 柴田友都 <6> 戦時下に勤務 予想以上の金額に

 昨年10月、安芸高田市のH乃さんから亡母W子さん=1928(昭和3)年生まれ=の年金相談を手紙でいただきました。

 内容はこうです。90歳で亡くなったW子さんは戦時中、広島陸軍被服支廠(ししょう)(現広島市南区)で女子挺身(ていしん)隊として働いたとのこと。当時の年金について地元の年金事務所に電話で問い合わせると明快な回答を得られず、「納得のいく答えが欲しい」との相談でした。

 早速、H乃さんに電話で尋ねました。W子さんは子育てが一段落した頃近所の工場に勤め、その時の厚生年金はもらっていたそうです。H乃さんに相談書類を送付し、調査には謄本なども必要なため、私のもとに書類一式が返送されるまで約3週間かかりました。

 まずW子さんの年金記録を調べると、厚生年金は28カ月かけてあることが分かりました。厚生年金を12カ月以上受給しているのであれば、戦時中の年金を請求できる条件を満たしています。あとは、当時の記録が見つかるかどうかです。

 H乃さんに年金請求に必要な履歴申立書を送り、分かる範囲内で記入してもらうよう依頼しました。履歴申立書が返送されてきたのは約10日後。内容を十分に確認し、私の事務所で清書して埼玉県内の年金事務所で申請手続きをしました。

 それから約9カ月後、W子さんが広島陸軍被服支廠で働いた42(昭和17)年6月~45(同20)年8月の記録が認められました。年金額は約190万円。H乃さんに入金予定の連絡をすると、「そんなにいただけるのですか」と驚きを隠せない様子でした。

 戦時下の年金は当時の賃金をベースに計算するのではないため思いも寄らない金額になります。H乃さんにも「間違いなくW子さんが働いた3年2カ月分の年金です」と伝えました。広島陸軍被服支廠のほかにも呉海軍工廠(呉市)や広海軍工廠(同)で両親が働いていたという人はいるのではないでしょうか。

 後日、H乃さんから手紙をいただきました。墓前で家族そろって今回のことを報告したそうです。(年金コンサルタント)

柴田さんの連絡先 〒333―0802埼玉県川口市戸塚東4の25の4、産友社会保険労務士事務所。☎048(296)2075、ファクス048(296)5914

(2022年12月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ