×

ニュース

「核戦争か、非核の平和か 賢明な選択の必要性」サーロー節子さんスピーチ

2022年11月23日、模擬国連世界大会開会式(神戸市外国語大主催)

 私は今日、「核戦争か、非核の平和か。賢明な選択の必要性」と題して発言します。皆さんは模擬国連世界大会に参加することで、この世界を守って傷を癒す力となり、進歩的で平和を愛する地球市民としての責任を誠実に果たすという明確な選択をしました。同時に、人類が直面する重大な課題について自ら学ぶという選択も明確にしたのです。私は、ここに集まった皆さんに拍手を送るとともに、これからの旅の道のりが成功となることを祈ります。きょうは私自身が歩んできた旅の道のりについて、そして、私たちが核兵器を甘受するか廃絶するかの選択がまさに地球の運命を決する、と私が信じている理由について話したいと思います。

 (ウランの詰まった)芯の部分はリンゴほどしかない、たった一発の原爆が古里・広島を破壊したのは私が13歳の時でした。何万人もが瞬時に殺されました。放射線障害があまたの命を奪い、あの日から今日まで人々の体に、世代を越えて影響を与えているのです。それから77年後(そしてキューバ危機から60年後)の今、核兵器による瀬戸際外交と虚勢はヒロシマ・ナガサキを繰り返すリスクを日々はらんでいます。戦争が私たちの愛する地球上の生命を絶つという、ジョン・F・ケネディ大統領が「最後の失敗」と呼んだ脅威さえあるのです。

 (ロシアの)プーチン大統領は今年9月30日、米国が日本に対する原爆攻撃によって「(核兵器使用の)前例をつくった」と発言。ウクライナでの再現をほのめかし、威嚇をしています。ところが、あの兵器が本当に生み出したのは地獄でした。生き残った者にとってのトラウマと苦悩―それを表現することは、到底不可能な「ミッション・インポッシブル」です―は決して絶えることがありません。明るい朝の光が、悪魔の息吹のような火炎に消さていく。人間が焼かれ、黒焦げになり、腫れ上がり、皮を剥がれ、内臓を抜かれ、亡霊のような行列となっていました。ある者は閃光で視力を奪われ、(飛び出た)両目を手に受けています。水を乞う声はうめき声となり、死の沈黙にのみ込まれていったのです。

 皆さんの多くが大会の「ヒロシマ体験」プログラムに参加し、原爆資料館と平和記念公園を訪れたことでしょう。そこで見たこと、感じたことが、核兵器を歴史(の遺物)とする行動に身を投じるきっかけになることを願っています。広島と長崎を訪れて人生が一変した人は、世界中に数え切れないほどいます。その一人、ジョン・ウェスター氏は(米ニューメキシコ州)サンタフェのカトリック大司教です。この教区には、巨大な広島原爆「リトルボーイ」が製造されたロスアラモス研究所があります。今年初め、ウェスター大司教はこう振り返っています。

 「2017年9月、私は日本を旅して広島と長崎を訪れました。人類が1945年8月6日を境に一線を越え、核時代の暗闇へと進んだのだと痛感しました。重苦しく、目が覚めるような経験でした。私たちは今、何十億人もの人々を瞬時に殺し、世界を一瞬にして破壊することさえできるのです。現在の広島と長崎を歩くと、その悪が現実味を持って伝わってきます」。

 大主教は続けました。「ある展示でこんな説明文を読みました。あの運命の朝、広島の小学生たちは明るい光に引き寄せられて窓際に駆け寄った、というものです。その時彼らは、自分たちが死に向かって走っていったのだということも、即座に焼かれるか後に苦痛のうちに死んでいくのだということも、知らなかったのです。光とは、新たな命と鮮明な視界をもたらすものです。でも、あの日は違った。悲しくも戦争で初めて使われた核兵器の爆発がもたらしたのは、破壊と死だけだったのです」

 まさに、原爆は破壊と死をもたらしました。しかし私は、暗闇での体験だけでなく、困難で辛い道のりを導いてくれた光についても語りたい。陸軍司令部(第二総軍司令部)で暗号解読の任に就いた私は、窓から差し込んできた異様なまでに強烈で青白い閃光に目がくらみ、猛烈な衝撃波に飛ばされて意識を失いました。静寂と暗闇の中で意識を取り戻すと、がれきの下に閉じ込められていました。「お母さん、助けて」「神様、助けて」と悲痛な声がかすかに聞こえてきます。見知らぬ人たちや、死にゆく友人たちの泣き声でした。その時、まるで地獄の中の奇跡のように、肩に誰かが触れる感触があります。男の人の声が聞こえました。「諦めるな! 諦めずに押し続けろ! 助けてやる。あの隙間から光が見えるだろう? 早くそこに向かって這っていきなさい」。私はその通りにして、這い出すことができました。立ち上がり、体を震わせながら辺りを見回しました。あの男の人の姿はありません。広島は破壊し尽くされていました。太陽も見えません。そして、人々が幽霊のように私に向かって歩き、通り過ぎていく---。

 プーチン大統領よ、もし私と一緒にそこに立ったなら、あなたは目の当たりにしたものを「(核兵器使用の)前例」などと言い放つことはできなかったでしょう。そもそも、地獄のような最悪の暴力であり不必要な悪を、『抑止力』と呼んでいいのでしょうか。現在では数百万人を殺すことも可能である核兵器を巡り、原爆と同等かそれ以上の規模の苦しみを与えるための「戦術的」または「戦略的」オプションについて語っていいものでしょうか。ニューヨークや東京のような巨大都市を瞬く間に壊滅させることもできるのです。長きにわたって地球を汚染し、「核の飢餓」や「核の冬」を引き起こすのです。

 当然ながら、私は全身全霊を傾けて核兵器を忌み嫌い、拒否します。しかし同時に、全ての戦争を憎み、拒否します。核兵器は武力紛争を抑止するどころか紛争の元にしかならいのです。いじめる側をつけあがらせ、軍事的な冒険主義を助長する。今日のウクライナ、近年までのイラク、そしてほかにも1945年以来のあらゆる時と場において、そうであり続けています。ウクライナから発信される恐ろしい映像を見たり胸が張り裂けるような情報(殺りく、拷問、レイプ、都市と地域の破壊、若者の強制徴兵など)を耳にしたりする時、私は放射線にさらされて人間性を失った広島の亡霊---それは悲惨な叫びと非道なまでの沈黙です---とを重ね合わせてしまうのです。現代の戦争の狂気が、いつか必然的に私たちを核の闇に陥れるさまが見えるのです。核軍縮ではなく核兵器だけが核戦争を阻止するという、危険で非論理的な妄想である「抑止力」がいかに無価値であることか。疑う余地なく、改めてそう証明されるのです。

 だから私たちは、自分自身を欺くことはしたくない。「核のサーベル(軍刀)」を手にしているのはロシアだけにとどまりません。それを打ち鳴らす指導者は一人だけではない。核時代をもたらした米国もまた、地球上の生命を破壊できる倒錯した能力を持っており、「核時代」に対する自家撞着的な言葉である「国家安全保障」の名の下に、そうする「権利」を平然と主張しているのです。実際、国連安全保障理事会常任理事国の全5カ国は、世界をより危険な場ではなく安全な場にする責任を負っているはずなのに、黙示録的な被害を与える力を「誇示」し、その権利を主張しています。「マッシュルーム(きのこ雲)クラブ」の他のメンバー国であるインド、イスラエル、パキスタン、北朝鮮も同様です。ほぼ全ての北大西洋条約機構(NATO)加盟国を含む、30カ国以上の「核兵器支持」国もそうです。いつの日か必ず「核武装」に至るであろう「傘」の下に、虚構の「シェルター」を求めています。

 いかに到底あり得ないことが考えられ、許されないことが許されてしまっているのかを思い、私は胸を痛めています。しかし、失望しても、私たちに破壊をもたらす「(核)抑止」を抑止することはできない。別の道筋が必要です。

 2017年、国連加盟国の3分の2に当たる122カ国・地域が、核兵器使用や核実験による被害者、市民団体や国際機関と緊密に協力しながら核兵器禁止条約の交渉と採択をし、ついに「核兵器禁止」という国連総会決議第1号が定める約束を実現させたのです。核兵器を「人道の原則にとって忌まわしいもの」とまさに表現したこの新たな条約は、2011年に赤十字国際委員会(など)が決議した「人道性イニシアチブ」で機運が高まり、核戦争が人間や環境にもたらす真の代償と結末について科学と事実に基づき明らかにしよう、という世界的な取り組みの到達点となったのでした。そして、人類が自らの未来について正しい決定を下すことができるのだという主張は、世界的な市民社会の連合体である核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に新たな活力を吹き込みました。そのICANの代表として私はベアトリス・フィン事務局長とともに、2017年のあの記念すべき年にノーベル平和賞を受賞する栄誉を得たのでした。

 昨年1月に核兵器禁止条約が発効し、すべての核爆発物の保有はもとより、使用、使用の威嚇、実験、開発、生産が禁止されました。とりわけ条約前文は、「あらゆる側面における平和と軍縮教育、ならびに現代および将来世代における核兵器の危険性と結果を認知する重要性」を強調し、「平等かつ完全で効果的な女性と男性双方の参加は持続性ある平和と安全の促進・達成の重要な要素」なのだと認識。体験の伝え手であり、変化を呼び起こす者として、核被害を生き伸びてきた者たちには独自の役割があるとしています。

 加えてこの条約は、核兵器の使用、開発、実験の被害者に対する援助を明記しています。核の暴力によって今なお損なわれている土地や水の損害回復を支援する約束も含みます。6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、このような切実に求められる援助や救済を行うための国際信託基金の設立に向けた決定がなされました。私は今日、祖国である日本、そして1950年代から私が住み続けるカナダの両国政府に対し、禁止条約に署名・批准するという正しい選択を(いつかそうすると信じていますが)する前であっても、基金とそのためのプロセスに大いなる貢献を果たすよう、ここで直訴します。

 核兵器禁止条約を勝ち取るための闘いは長く、困難かつ孤独なものでした。核時代の到来から60年の間、日本(の被爆者)や、2千回以上行われた核実験で壊滅的被害を受けた多くの先住民居住地の生存者と被害者の声は、核保有国とその同盟国・共犯国によって沈黙させられ、周縁に追いやられていました。もちろん私たちは、自らの体験を語り、警告を発し続けました。日本とカザフスタン。米国南西部やロシアの北極圏。南太平洋やオーストラリア。さらには北アフリカ、中国、インド、パキスタン、北朝鮮という、核の帝国主義によって毒され、汚染され、侵害されたあらゆる場所において。私たちの苦しみは続いたのでした。耳を傾け、理解し、寄り添ってくれる人と国は常にありました。それでも、ようやく私たちの声が届き、条約の躍進につながったのはここ15年ほどのことなのです。

 現在までの条約署名国は91で、締約国は68。その数は着実に増えています。条約の外にいる国に対しても、絶大なる影響力を発揮しています。例えば米国では、5州64都市(ニューヨーク、ワシントンDCを含む)が、米国の条約署名と批准を求めています。そして2021年12月、ニューヨーク市では議会の年金資金を核兵器製造に投資する銀行や企業から引き上げると決議。“Bank on the Bomb”を拒む潮流の一端を担っています。

 核兵器禁止条約の実現が示すように、賢明な選択は世界の大多数の国々と市民によってすでになされています。「原爆は忌むべきものであり、その悪は排除されなければならない」という評決が下されたのです。この条約が国連で採択された際、私は各国の代表団の前で、これは「核兵器の終わりの始まり」だと語りました。しかし私はあくまで、預言者ではなく一人の被爆者です。この始まりを土台にして、前進しなければなりません。さもなくば、私が広島で目の当たりにした光景そのままに、「世界の終わりの始まり」となってしまうでしょう。

 とはいえ、多くの聡明で献身的な若いあなたたちに向けたこの講演を、暗い話で終わらせたくありません。何年にもわたって核の被害者は、非核による平和というたいまつを掲げてきました。私自身は、壊滅した広島の地獄の中でも諦めないよう励ましてくれた、あの男性の言葉をいつも心に留めてきました。私は、諦めなかった。核兵器廃絶だけがもたらし得る持続可能な平和のために、努力してきました。この素晴らしく愛すべき新条約のような、新たな扉への努力をしてきました。皆さんの中に、私たちから奮い立つ力を得る人がいてほしいと思います。しかし今、私たちも皆さんから奮い立つ力を得る必要があります。このたいまつを受け継ぎ、これまでになく高く掲げてくれる、より若く強い手が必要です。全世界でたいまつの光が見えるよう、高く掲げてほしい。そして、正しく賢明な選択をするのです。

年別アーカイブ