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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅴ <10> イルティッシュ号 和木の村人 敵の露兵助ける

 明治38(1905)年5月27日、遠雷のような響きが和木(現江津市和木町)にも届いた。対馬沖で日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃滅した際の音とは、小さな漁村の人々は知る由もなかった。

 翌28日、村人が見たこともない巨大な船が沖の日本海に姿を現す。砲弾を受けて沈みかかったロシア艦イルティッシュ号だった。「ロシアが攻めてきた」。避難騒ぎで村は大混乱に陥るが、脱出した乗組員は白旗を掲げたボート6隻に分乗し、武器を海中に捨てて救助を求めた。

 折からの大波でボートは岸辺に近づけない。「こっちへ来い」。代用教員が海に入ってボートに手招きし、村の男たちは海に飛び込んでボートを陸まで引っ張った。女たちも裾をまくって上陸に手を貸した。

 危険と隣り合わせの海の民として人ごとではなかった。負傷者を含む乗組員は200人余り。涙を流して感謝する者もいた。小学校や民家で一夜を明かし、捕虜として浜田の歩兵第二十一連隊に収容された。

 日本海海戦の圧勝で日露講和となる。同年9月5日調印のポーツマス条約で日本は旅順・大連の租借権と東清鉄道南部を譲り受け、韓国の支配権を認めさせた。賠償金は取れず、樺太割譲は南半分にとどまった。

 連戦連勝に沸き、戦争継続が困難な実情を知らされない国民は落胆した。条約破棄を求めて東京・日比谷で焼き討ち事件が起き、広島県内でも講和反対集会が相次いだ。

 そうした戦時ナショナリズムの高揚と別次元の体験をしたのが和木の村人だった。同じ人間として敵兵を助けたイルティッシュ号漂着は忘れがたい大事件だった。

 毎年5月28日に「ロシア祭り」と称して懇親会を催すのが習わしになる。戦中は途切れたが、近年は世代を超えて体験を語り継ぎ、ロシアとの親善を深める場になっている。

 今年のロシア祭りはコロナ禍の影響で10月16日にあり、地元の高角小児童が117年前の史実に基づく群読を披露した。「日本とロシアは敵同士だったのに」「大切な人が待つあなたを助けたい」「この世のすべての人が大切なのです」。ロシアによるウクライナ侵攻のさなか、例年にも増して切実に響いた。(山城滋)

イルティッシュ号
 全長180メートル、排水量1万5千トンの軍用輸送船。海戦後にウラジオストクへ向かう途中、和木の真島沖2キロで沈没。1959年、船内に眠るという金塊引き揚げ騒動が起きたが幻に終わった。

(2022年12月6日朝刊掲載)

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