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連載・特集

[考 fromヒロシマ] 広島市の「家族伝承者」研修中 父母の被爆体験「私が継ぐ」

胸の内推し量り苦悩に迫る

 高齢となった被爆者に代わって子や孫に体験証言を担ってもらおうと、広島市が本年度から開始した「家族伝承者」制度。県内外に住む53人が研修中で、2023年度以降、原爆資料館などで修学旅行生や観光客に講話する。研修生にとっては、肉親が77年間抱えてきた苦悩と向き合う作業でもある。既に亡くなった被爆者の家族は対象外となるため、別の道を模索している人も。それぞれの思いを聞く。(新山京子、湯浅梨奈)

 「『核廃絶への魂の叫び』を自分の言葉で語りかけ、人々の感性と倫理に訴えていきたい」。被爆者の細川浩史さん(94)がつづった原稿を、長男の洋(よう)さん(63)=広島市中区=は読み返している。家族伝承者の研修生だ。

 父・浩史さんは17歳の時、爆心地から1・3キロで被爆して大けがを負った。被爆死した妹の森脇瑤子さん=当時(13)=がその前日までつづった日記を大切にしており、本も出版。市の「被爆体験証言者」として長く活動してきた。

 ただ、家での浩史さんは「原爆のことを『触れたくないし、触れられたくもない』と進んで語ることはなかったんです」。父の証言活動に関与したのは、時折頼まれて証言原稿を校正することぐらいだった。

 洋さんの意識が変化したのは、ごく最近のこと。2020年1月に浩史さんが入院し、一時は生死をさまよった。定時制高校などで国語の教員を務めてきた洋さんは、昨年春の退職を機に実家に居を移した。驚いたのは、原爆関連の資料の山。父の証言を聞いた子どもたちから届いた感想文の束が大切に保管されていた。動けなくなった父のため「私だからこそ伝えられることがある」と思い立った。

 家族伝承者の研修は、原爆被害の知識や話法を学ぶ8回の講義からなる。その後、家族から直接聞き取った体験を原稿にまとめ、講話の実習へ。広島平和文化センター(中区)の委嘱を受けて「デビュー」する。

 父がどれだけの決意を胸に、原爆の悲惨さを発信してきたのか―。洋さんは、最も身近な存在の父の胸の内を推し量りながら原稿を仕上げていった。来春の活動開始を目指して、講話の実習に移ったところだ。

 浩史さんの体験を継承する担い手は、洋さんだけでない。12年度に研修制度が始まった「被爆体験伝承者」は血縁関係を条件としておらず、12月時点で164人が登録している。洋さんは、浩史さんの体験を伝承する9人と接しながら、父を慕う気持ちを共有したいとの思いを強めている。

 市内の高齢者施設に入る浩史さんとは、新型コロナ禍のため長く会えなかった洋さん。10月、研修参加を直接伝えた。「願ってもないこと」と喜んでくれた。悩みを抱える多くの生徒と接した教員経験から、講話では「命を、友達を大切に」と呼びかけるつもりだ。

 岡本雅隆さん(70)=西区=は研修参加を志した際、母純子さん(93)から被爆体験を初めて聞いた。それから週1回、南区の実家で体験を聞き取っている。

 県立広島第一高等女学校(現皆実高)4年だった純子さんは、学徒動員先の東洋工業(現マツダ、府中町)で被爆。翌日から、市中心部に出たままの母親を捜し歩いた。遺体の顔を一人ずつ確かめた。無残な姿が目に焼き付いている。「思い出すだけで涙が出る」と手記はしたためていない。

 雅隆さんは商社勤めで国内外を飛び回っていた日々を終えて退職後、この制度を知った。「母親の身に起こったことを知らなくていいのか」と自問し、打ち明けると重い口を開いてくれた。熱心に取り組むうち、米国に住む雅隆さんの娘も関心を持ち始めた。「世代を超えてつないでいこう」とメモを取る手に力がこもる。

 家族には語っていない、という被爆者は意外と多い。「家族伝承」は、継承の裾野を広げるとともに、一人一人が家族の形を編み直す契機にもなっている。

参加に条件 市民団体など手法模索

 市が家族伝承者の養成を始めた背景に、市に登録する「被爆体験証言者」の人数減という事情がある。市平和推進課によると、2020年度の41人が21年度は35人。高齢で亡くなる人が相次ぐためだという。ただ研修への参加は、被爆者である親や親戚が体験の聞き取りや原稿の内容確認に対応できることが条件。稲田亜由美・市被爆体験継承担当課長は「証言の正確性を担保したい」と説明する。

 どうしても、対象外となるケースは出てくる。

 滝口裕子さん(68)=広島市中区=の手元には、15年に90歳で死去した母悦子さんが書きためた数十枚分の原稿用紙がある。女子挺身(ていしん)隊として陸軍船舶司令部に配属された20歳の時、爆心地から約3キロの宇品(現南区)で被爆。沖合の似島でけが人を手当てした。生前は体験を家族に詳しく話さなかったが、手記には切々かつ克明に書き残している。

 研修参加を希望し、市に問い合わせると対象外だと言われた。「自分なりの方法で知人や友人たちから伝えていくしかない」

 昨年死去した岡田恵美子さんの被爆体験伝承者でもある滝口さんは、7月に市民グループ「ヒバク2世の語ろう会」を仲間と立ち上げた。月2回の会合には家族伝承者の研修生も多く参加する。来春、市民向けの講話会を開く予定で、滝口さんは母親の体験を語る。

 研修を途中で断念したケースも。市によると、被爆者の急死により聞き取りや原稿の内容確認ができなくなったため、辞退を申し出た研修生がいるという。

 「家族伝承」は、もう一つの被爆地・長崎市が先駆けだ。「家族証言者」制度を14年度に開始。15人が活動している。こちらは、肉親が亡くなっていても、手記や生前の聞き取りメモがあり、30分の講話ができれば応募できる。広島でも可能ではないだろうか。長崎市は逆に、16年度から血縁関係がない人にも「交流証言者」として対象を広げた。市被爆継承課は「家族証言者が想定より少なかったため」と説明する。現在37人が活動中だ。

 誰しもが被爆者の思いを継承することはできる。行政の施策にとどまらず、市民団体や個人も多様な方法で模索している。そういった積み重ねが「惨禍を繰り返してはならない」という警鐘を将来にわたり伝え続ける土台となるはずだ。

(2022年12月13日朝刊掲載)

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