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奉納写真 元兵士に返還 山口の「弾よけ」三坂神社 シベリア抑留生還 宇部の山根さんへ

「戦争いかん」平和願う

 戦時中に「弾よけ神社」として知られた三坂神社(山口市徳地岸見)に奉納された写真が、宇部市東本町の山根良雄さん(98)に返還された。1944年9月、陸軍の部隊に入る前に撮影された一枚で、敗戦後は約4年間、シベリアに抑留された。軍国少年だった若き日の自分を振り返り「勝っても負けても戦争はいけない」と平和への思いを新たにしている。(山下美波)

 口を一文字に結び、真っすぐな目で写る20歳の山根さん。モノクロの一枚を手に「若い頃がよみがえった気がした」と目を細める。写真の返還に協力している下関市の村岡正隆さん(80)が10月、写真の裏に書かれた名前を電話帳で探し、発見した。自身も2年前に亡き父の写真を同神社から返還された。「写された本人が亡くなっている場合が多かったので、うれしい」と声を弾ませる。

 山根さんは20歳の時、旧満州(中国東北部)の戦地に赴いた。旧ソ連との国境近くでトラックなどを整備する野戦自動車廠(しょう)に配属され、約半年後に敗戦を迎えた。旧ソ連軍による武装解除後、捕虜としてシベリアに送られ、鉄道建設に従事させられた。寒さや栄養不足で、移送後約3カ月間は約100人いる収容所内で毎日3~8人が亡くなった。遺体は掘った穴に埋め、収容者同士で遺品の取り合いも起こった。

 4カ所の収容所を転々とした。いつ帰れるか見当がつかず、明日の命も分からない。毎日、その日を生きるのが精いっぱいだった。夜は収容者同士で故郷の話をし、いつ帰れるか予想する占いもはやった。引き揚げが決まっても出港までに呼び戻された人がおり、船が港を離れて初めて安心し、涙があふれた。「地獄と天国の境目だった」。49年8月、京都の舞鶴港に着いた。

 戦後は宇部市に時計店を開いて2人の子を育て、昨年まで店に立った。写真が奉納されていたことは、返還されて初めて知った。自宅裏の写真館で撮った写真を養母が奉納したとみられる。「神社がずっと保管してくれてうれしい。当時は国のためにと喜び勇んで出兵した」と振り返る。

 今も世界ではロシアによるウクライナ侵攻など争いが絶えない。「自分は若くて体力があったから生き残れた。戦争はせず、滑らかな外交で解決してほしい」。78年前の写真を手に、静かに平和を祈り続けている。

三坂神社の奉納写真
 日清、日露戦争で無事を祈願した氏子の兵士全員が生還したとされ、日中戦争、太平洋戦争でも全国から写真が届けられた。約2万5千枚が奉納され、戦後、宮司たちが写真裏などに書かれた名前や住所を手がかりに返している。空襲で家が焼けたり、最近では本人や家族が亡くなったりしているケースが多いため作業は困難を極め、いまだ約1万4千枚が残る。

(2022年12月14日朝刊掲載)

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