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社説・コラム

イランの民衆蜂起と八句の川柳 ナスリーン・アジミ

 日本でのこの2カ月間のイランに関する報道は、「女性、命、自由」という力強い旗印を掲げた抗議運動であるにもかかわらず、わずかである。基本的人権と自らの命のために闘う若者や女性が中心となって立ち上がった民衆蜂起だが、平和活動の根付いた私の第二の古里・広島でもさほど注目されておらず、そのことが心に重くのしかかっている。私はこの60日間の日記を読み返した。詩の形式だとより日本の人たちの感性に訴えるものがあるのでは、と思い至った。

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 9月18日:初めて彼女の過去の映像を見た。愛らしい笑みを浮かべ、カメラに向かって歌う少女。クルディスタン州の州都サナンダジ出身で、休暇を利用して兄とテヘランを訪れていた。9月13日、彼女はスカーフのかぶり方が不適切であるとして風紀警察に逮捕され、「再教育」センターに連行された。数時間後、病院の緊急治療室に運ばれる。23歳の誕生日を4日後に控えていた9月16日、死亡を宣告された。

 その悲しみたるや。不正義に絶句する。

 亡き私の父のことを思い出す。若い頃サナンダジ近郊に勤務しており、地元住民と壮大な自然に魅了され、たゆまない友好関係を築いていた。(1979年のイラン・イスラム革命後に)亡命した晩年、彼はしばしばその地方のことを懐かしむように話していた。

父思う
心優しき
クルド人

Father’s memory
How kind of heart
The Kurds

 9月27日:何かが起こっている。マフサ(ジナ)・アミニ---少女の名前である---殺害事件に、イランと世界中のあまりにも多くの人々が心を痛めている。最初はどよめき。やがて声が重なり、さらには叫びに。権力に飢えたターバン姿の男たちと、その男たちが支配する残忍な治安部隊などもうたくさんだ、と語っているように思える。腐敗し切った残酷な支配は、もうたくさんだと。

 彼らはいつまでイランの若者たちの夢を潰し続けるのだろうか。

夢を持つ
世界の若者
イランでも

They all have dreams
Young people around the world
In Iran too

 10月8日:マフサさんの死に怒るイラン人は、ほぼ毎日、抗議のため街頭に出ている。どの都市でも、治安部隊に襲われながら素手で警棒、銃弾、逮捕に立ち向かっている。抗議する者たちの勇気は信じがたいほどだ。政権(もはや「政府」と呼ぶ気にはなれない)はこれを「テロリスト」が率いる「外国」からの蜂起だとする---自らの権力と利益を脅かすものはすべて外国からだ、テロだ、とレッテルを貼りたいのだ。

 この秋のイランでは、もう誰も彼らの嘘を信じてはいない。

勇気ある
素手で抵抗
ペルシアびと

Full of courage
Resisting with bare hands
People of Persia

 10月21日:日本の報道を調べたが、やはりペルシャの蜂起についてはほとんど報道されていない。何十年も権力を維持してきた聖職者はイランの評判をあまりに落としたため、日本は古代のシルクロードの友のことを忘れてしまった。アケメネス朝、サッサニ朝、サファヴィー朝も。ヤズドやシラーズの楽園の庭園、イスファハンの荘厳なモスク、正倉院に多くの宝物をもたらした土地についても。

 滋賀県の山あいにある大好きなMIHO MUSEUM(ミホ・ミュージアム)に向かう。中国とイランを中心に古代美術のコレクションで知られる。今回の季節展示は、この瞬間のためにあるようなものだ。テーマは「文明をつなぐもの 古代中央アジアから東アジアへ」。

 私の祖先の地から生まれた、精緻な美術品である。

MIHOで見た
シルクロードの跡
先祖かな

I saw at the MIHO
Traces of the Silk Road
Maybe an ancestor

 10月22日:イラン・イスラム共和国は、イスラム自体の評判を落としている。(本当は)イラン・イスラム「ではない」共和国である。彼らはうそをつきたい放題だ。私は激怒のあまり、蜂起を支持するデモ行進のため東京へ出向いた。デモ参加は人生で2度目。最初は2003年にニューヨークで、ジョージ・W・ブッシュとその仲間によってイラクに仕掛けられた破滅的な戦争に反対したときだった。少数の男たちの腐敗と愚かさによって、どれだけの誤った戦争と、どれだけの不必要な苦痛がもたらされるのか。

 私は、プーチンの手によるウクライナ人の今日の苦しみを見ながら、苦しみの記憶を思い出すイラク人に同情の念を覚える。プーチンは、イランの聖職者たちが国を売った相手方である戦争屋。

独裁者も
どんな戦も
許されぬ

Dictatorships
And all the wars
Unforgivable.

 10月29日:イランの若手ミュージシャン、シャーヴィン・ハジプールは、なぜ普通の人たちがデモのため命の危険や手足切断の危機に自らをにさらしているのか、という問いに答えるため、人々がシェアしているツイートをまとめた。彼はペルシャ語で「バライエ」(for the sake of)と題する自分の曲をアップロードしたところ、拡散した。すぐに政権から嫌がらせを受け、罰せられるが時遅し。歌自体が魔法のような力を持っていた。世界中の人々がデモで唱え、歌手たちが英語、フランス語、ドイツ語、スウェーデン語に翻訳...。曲に耳を傾けた誰もが涙を流す。

 10月下旬、アルゼンチンでのコンサートで英国のロックバンド「コールドプレイ」が「バライエ」を歌った。今や世界的なブームだが、日本のアーティストはまだである。日本語では「自由」をどう歌うのか?

バライエを
歌って分かる
フリーダム

Singing Baraye
One understands
Freedom

 11月8日:広島の被爆樹木を見て回る米国の植物専門家の一行を受け入れた。毎日、私たちは被爆樹木と、それが持つ象徴と意義について語っている。そして毎晩、イランでの逮捕や殺害のニュースを読みながら声をあげて泣く。この恥知らずな政権の残虐行為は、あと何人の家族を苦しませるのか。

 今夜の中秋の名月は満月である。442年前に観測された皆既月食と重なる。天王星は月の陰に隠れる。米国人の来訪者は、街は安全で銃のない日常生活を営める日本がいかに恵まれているかを教えてくれた。今夜、静寂に包まれた広島の平和記念公園を歩いた。

夜めぐり
星が隠れて
平和さえ

Night stroll
A star is concealed
Peace as well

 11月14日:マフサさんの死とイラン動乱の勃発から2ヶ月が経とうとしている。300人以上が殺され、数千人が逮捕された。その多くはまだ10代の若者だ。刑務所の門の外で彼らを待つ両親の苦悩を思う。ウクライナで、ロシアで、アフガニスタンとミャンマーで、ニカラグアで、シリアで、ベネズエラで、イエメンとメキシコの地方で、米国の路上と学校で犠牲になった若者たち。そしてイランで。

 毎日が絵のように美しい広島の秋。平和記念公園の紅葉の美しさも、世界情勢を考えると痛々しく感じる。それでも私はそこに向かい、赤や緑、金の葉の荘厳な樹木に囲まれながら、イランの専制政治からの解放を祈る。

秋晴れに
日本の平和を
イランへも

Sunny autumn
Sending the peace of Japan
To Iran

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ナスリーン・アジミ
 グリーン・レガシー・ヒロシマ・イニシアティブ共同創設者/コーディネーター。1959年イラン生まれ。17歳の時にスイスへ移住。86年ジュネーブの国際問題研究所で国際関係学修士号を取得し、88年からジュネーブの国連訓練調査研究所(ユニタール)本部に勤務。ニューヨーク事務所長などを経て2003~09年、初代の広島事務所長。現在はユニタール特別上級顧問。著書に「Last Boat to Yokohama」、「The United States and Cultural Heritage Protection in Japan, 1945-1952」など。

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