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連載・特集

「放影研60年」 第5部 提言編 <1> 日本被団協代表委員 坪井直氏

移転し開かれた施設に

 被爆者調査という類例のない研究に取り組み、前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)から数えて開設六十年を迎えた放射線影響研究所(広島市南区、放影研)。被爆者の高齢化が進む中、将来の研究や存続意義はどうあるべきか模索が続く。放影研を見つめた連載の締めくくりとして、各界の有識者に将来像を聞いた。初回は、被爆者の立場から日本被団協代表委員の坪井直氏(82)。坪井氏は「移転して物理的にも心理的にも市民に開かれた施設に」と求める。(森田裕美)

  ―地元連絡協議会メンバーとして、放影研と対話を重ねていますね。
 四年ほど前から協議会に参加し、ようやくこれまでの調査が放射線防護や緊急被曝(ひばく)医療などの分野で世界から評価され、人類に役立っていると理解できるようになった。

  ―それまでの放影研の印象はどうだったのですか。
 「検査すれども治療せず」だった。私自身、ABCCで裸にされ、全身調べられたあげく、何の説明も受けられなかった屈辱的な経験がある。放影研に改組後も、米国人科学者が難しいことをしている「象牙の塔」というイメージで、近づくこともなかった。

    ■□■

  ―多くの市民にとって放影研に触れる機会は少ないですね。
 放影研をもっと開かれた施設にすべきだ。せっかくの科学的蓄積や情報を科学雑誌や学会で学術発表するだけでなく、分かりやすい言葉や手段で市民や被爆者に伝え、共有する必要がある。

  ―そのために何をすべきでしょうか。
 まず、放影研は現在立っている比治山から、市民がアクセスしやすい市街地に下りてこなくてはいけない。高齢の被爆者にとっては物理的にも遠く、閉鎖的だ。市街地で研究資料をオープンにするなどして、見学したり立ち寄ったりできるようにしてほしい。オープンになることで、被爆者も協力する意義が理解でき被爆地の反発は励ましにも変わるだろう。

  ―移転問題は、日米の財政負担をめぐり二十年以上も未解決です。
 米国側の主体は、原爆を投下した米国で核開発を担当するエネルギー省なので、被爆者の思いを理解しろと言っても難しい面もあると思うが、ここは日本政府にきちんと対応してほしい。「金がない」は通用しない。武器購入や政治家の不正で消えるお金を人類のためになる研究に使えば、みんなにとってメリットがあるはずだ。

  ―研究面では何を求めますか。
 被爆者は、体が不調になると何でも放射線のせいではないかと疑ってしまいがちだ。そんな思いを受け止めてもらい、逆に現段階で分かっている科学的知見を説明してもらう協議会のような機会はこれからも重要だ。

    ■□■

 放影研の疫学データは集団の傾向などを示すもので、被爆者個人の病気を原爆のせいかどうか判断するものではない。そのため、冷静に見なくてはいけないと、私も放影研に触れながら学んだ。時には被爆者にとって不利な調査結果が出るかもしれないが、放射線の影響が小さいことは本来喜ぶべきことだ。不安や動揺を避けるためにも、一刻も早く原爆被害の全容が解明できるよう努力を続けてほしい。

放影研の地元連絡協議会
 1975年、ABCCから放影研への改組を機に、調査研究への理解を求め、地元の声を運営に反映させるため、広島、長崎それぞれに設置した。被爆者代表や行政、医療関係者ら約20人を集め、年1回程度、意見交換している。広島では移転問題が紛糾するなどして83年から中断した。90年代に案内パンフレットの記述や被爆二世の健康影響調査をめぐり被爆者団体との関係が悪化したため、関係改善に向け98年に再開した。

(2007年10月10日朝刊掲載)

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