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「放影研60年」 第5部 提言編 <5> 広島赤十字・原爆病院長 土肥博雄氏

全ヒバクシャに対応を

 放射線影響研究所(広島市南区、放影研)は、かつて「治療しない」と被爆者の反発を買った。半世紀にわたり被爆者治療の中心的役割を担ってきた広島赤十字・原爆病院の院長で、放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会(HICARE)会長でもある土肥博雄氏(62)は、今後の放影研のあり方について「これまでの蓄積を生かし、世界の放射線被曝に対応できる施設への衣替えを」と提案する。

  ―放影研がかつて「治療しない」と批判されたことについて、どう考えますか。
 被爆者が治療してほしいと思うのは当然だ。しかし、前身の米国原爆傷害調査委員会(ABCC)は病院とは異なり、治療目的で設立されていない「研究所」だった。治療しなかったのもやむを得なかったと思う。私も国際原子力機関(IAEA)のプロジェクトチームメンバーとしてチェルノブイリ原発事故後の健康影響調査に携わったが、現地の人から同様の反発を受けた。だから当時、ABCCが治療しなかったのも、それに対する反応もよく分かる。

  ―放影研は変わったでしょうか。
 その後の放影研は、思惑がそれぞれ異なる日米両国が運営するという難しい現実の中、広島県医師会と共同で北米被爆者への健診事業を始めるなど研究を援護に生かしている。その意義は大きいといえる。

  ―被爆者治療に長年、取り組んでいる広島赤十字・原爆病院を取り巻く環境はどうですか。
 様変わりした。現在では被爆者を治療する病院はほかにもあり、原爆病院の患者には被爆者以外の人も多い。被爆者に多いがんなどの病気も被爆者でなくてもかかる。専門科も発達し、原爆外来が特別に意味をなさなくなった。

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 しかし、たった一発の原爆で六十年以上たった今も被爆者にがんが増加している現実はどういうことなのか―などは、引き続き究めなければならない。その解明は放射線誘発のがんのみならず、人類におけるがん発生のメカニズムに光を当てることになるからだ。

  ―広島赤十字・原爆病院と放影研は連携ができますか。
 それぞれ運営主体が違い、頭で考えるほど簡単ではないが、方策を考えていく必要がある。今は不可能だが、何年か先に新しい調査や分析方法などが開発されるかもしれないからだ。医学の分野は日々進歩している。例えば骨髄移植は、かつて血清学的な検査で白血球の型を合わせるしかなかったが、遺伝子まで調べて細かいレベルまで型を合わせられるようになった。同様に、今後可能になる研究のため、放影研には豊富なデータで備えてほしい。原爆病院には被爆者の了解を得て、がん組織などが保存してある。協力は可能だ。

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  ―放影研の未来はどうあるべきでしょうか。
 世界の医療現場や原子力関連施設で、放射線被曝事故が起こっている。緊急被曝医療への体制確立も重要だ。放影研には原爆被爆の研究だけでなく、世界中のすべてのヒバクシャに対応してほしい。広島、長崎の悲劇から積み上げてきた研究の蓄積を世界の被曝医療に生かすため、近い将来「衣替え」も必要と考える。(森田裕美)

放影研の緊急被曝医療へ対応
 1999年の東海村臨界事故を契機に原子力災害時の緊急被曝医療体制整備が叫ばれ、2002年3月、放影研は広島大などと「広島地区緊急被ばく医療ネットワーク」を設立。被爆地が蓄積した医療の実績を連携・共有化する取り組みを始めた。04年には国が最も重篤な被曝者の医療に当たる三次被曝医療機関として広島大を選定。放影研は体表面汚染除去や汚染拡大防止などで連携する「放射線防護協力機関」に位置付けられている。

(2007年10月16日朝刊掲載)

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