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連載・特集

「放影研60年」 第5部 提言編 <6> 広島市立大広島平和研究所所長 浅井基文氏

被害救済を根本理念に

 日米で共同運営する放射線影響研究所(広島市南区、放影研)が新たな将来像を目指す上で、立ちはだかるのが日米外交の壁だ。外交官として二十五年のキャリアを持つ広島市立大広島平和研究所(中区)所長の浅井基文氏(66)は、放影研をめぐる問題の根底に、核兵器を手放さないという「核保有国の意図」を見る。「放影研の根本理念を、国民の力で人道的な哲学に変えていかなければならない」と訴える。

  ―原爆を投下した米国が設けた原爆傷害調査委員会(ABCC)が形を変え、六十年続いてきた意味をどう考えますか。
 米国に人体実験の意図があったかどうかは別にして、人の上に原爆を落とし、人体がいかなる影響を受けるか研究してきたのは事実。核兵器を手放さない立場の米原子力委員会(AEC、現在の米エネルギー省)にとって放影研の価値は高かった。

  ―共同運営する日本政府のかかわり方をどう見ますか。
 日本政府も米国の責任を追及せずに核の傘に身を寄せ、対米協力として研究を続けた。近年は、閣僚から核武装発言も出るようになり、放影研にその意図はないにせよ、政府が放影研を存続させる理由に「日本も積極的に核政策にかかわる」という危険な意図が新たに付け加わった、と言われても不思議ではない。

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  ―放影研は今後どうあるべきでしょうか。
 「核被害をこうむって苦しんできた人類をどう救うのか」という命題に取り組むよう、放影研の根本理念を変えなければ広島、長崎にとっての存在意義はない。「つぶしてしまうべきだ」との議論も出てくるかもしれないが、被爆者の健康不安を考えると、それでいいとは思わない。原発や医療事故など現代に生きるわれわれも、いつ被曝(ひばく)するか分からない時代だ。立脚点を変えさえすれば、蓄積されたデータも役に立つ。

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  ―地元に具体的な要望があっても、外交の壁は厚く、移転問題はなかなか実現しません。
 被爆地の市民は、本当は前身のABCCや放影研に「うさんくささ」を感じているにもかかわらず、真っ向から異議申し立てをせず、六十年間、許してきた面もある。そのままではまずい。「核被害者を救う」というふうに哲学を変えてもらうためにも市民が声を上げる必要がある。この際、米エネルギー省ときっぱり手を切って、独自にやっていくべきだ。

  ―私たちは放影研にどうかかわるべきでしょうか。
 例えば、厚生労働省は被爆者援護に後ろ向きできたが、人間的感覚がある大臣が問題に気が付けば原爆症認定基準の見直しのように動きだす可能性はある。同じように市民も政治も「放影研は大きな業績を上げているから、いまさら存在意義を問うても仕方ない」という立場で将来像を考えるのでなく、「人間の視点」という根本に立ち返らなくてはならない。

 まず、世界のヒバクシャへの視点、戦争被害に対する人権回復を根底に置くべきだ。それを問い直すのは世論であり、被爆地はその先頭に立つ責任がある。六十年の節目である今はそのチャンスだ。逃してはならない。(森田裕美)

放影研の運営
 1975年、ABCCから日米両政府が共同運営する放影研に改組された。米側はエネルギー省、日本側は厚生労働省が所管する。理事は日米5人ずつ。年間予算は2007年度で約36億3000万円。米エネルギー省の予算削減により、97年以降は日米折半の原則が事実上崩れ、被爆者を対象にした寿命調査や健康調査は日本側が上乗せ負担している。日本の上乗せ負担について、米国は「建物をつくり、30年間単独で運営してきた」などとして公正だと主張している。

(2007年10月17日朝刊掲載)

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