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連載・特集

「放影研60年」 第5部 提言編 <7> 広島市長 秋葉忠利氏

移転実現へ国は本腰を

 放射線影響研究所(広島市南区、放影研)は、前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)時代、強引な調査が地元に反感を生じさせ、日米共同運営になった現在は米側の都合で予算削減されるなどの課題を抱える。長年の懸案である移転問題も、実現のめどは立っていない。移転候補用地を先行取得している広島市の秋葉忠利市長(64)は「日本政府は放影研の問題を『治外法権』にしてきた面がある」と指摘。「移転をして、被爆者を尊重するという出発点を確認すべきだ」と訴える。

  ―放影研の六十年をどう見ますか。
 研究所としての国際的評価は高い。しかし、初期には人権を無視した調査もあった。特に被爆者が一番治療を必要としていた時に、強引な調査で被爆者の心に大きなダメージを与えた。にもかかわらず、被爆者は長年協力し、放影研は人類にとって貴重な知的蓄積となる疫学研究ができた。放影研にかかわるすべての人は被爆者の大きな犠牲と英雄的な行為に感謝することから始めなくてはいけない。

    ■□■

  ―現在の南区比治山から、市が取得した広大工学部跡地(中区千田町)への移転を求める声は強いですね。
 市としては被爆者によりよい医療を提供できるように考え、市中心部に候補地を先行取得した。移転をして他の医療関連機関と連携することによって、よりよい医療を提供できる。被爆者を尊重するという出発点を確認すべきだ。

  ―移転を実現するために、どうすべきでしょうか。
 市はこれまで国へ移転要望を続けている。今後も、折々に日米政府に市の考えを届ける努力はしたい。ただよく言われるように、私が米政府に英語で直接交渉すれば説得力はあるかもしれない。しかし、それでは筋が違う。

 日本政府は放影研の問題を「治外法権」にしてきた面がある。本来、運営する政府が本腰で動くべき課題だ。日米折半で国の責任で運営している以上、筋は通さなくてはならない。被爆者も、市民も移転を望んでいる。民主主義の政府ならばその声を受け止め、財政難を理由に予算を削減する米国に迫り、交渉し、実現するのが役割だ。

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  ―将来像を議論する第三者機関「上級委員会」の五月の会合で、地元の声を聞く場の設置を要請されましたね。
 運営する米国も日本政府も無責任体質になっている。放影研の将来像を話し合うのに、地元ではなく外部の人による上級委ができてしまい、被爆者や被爆地の市民の声は尊重されない。本来は国の方から、放影研の未来のために地元の意見を聞こうと動くのが当然だ。しかし被爆者が高齢化する中、そんなことも言っておられず働きかけた。

  ―放影研の将来に何を求めますか。
 研究面では、低線量被曝(ひばく)の影響、体内に取り込まれた放射線による被曝など、まだ手を付けられていない分野があり、解明は被爆地にある研究機関の課題である。

 放影研はこれからの対応次第で、科学的蓄積はあっても「おかしなことをやった」という倫理的汚点を残すことになりかねない。放影研自体が六十年を振り返って現在の位置を見つめ、考え、行動すべきだ。長い目で存続を考えるなら、ここ数年の間に核兵器が使われないよう、われわれと一緒に行動するなど大胆な動きも求められている。(森田裕美)

放影研の移転問題
 老朽化や地元の反発などから1970年代、移転を求める動きが浮上。80年代には国が調査費を予算化、86年に広島市が候補地として広島大工学部跡地を先行取得した。93年に構想がいったんまとまったが、米国側が財政難を理由に難色を示し凍結状態が続いている。市は毎年、国へ要望。発足60年の今年、放影研の将来構想を議論する第三者機関「上級委員会」と、被爆者問題を話し合う与党のプロジェクトチームは検討事項の一つに挙げ、いずれも年内に結論をまとめる方針。

連載「放影研60年」は今回で終わります

(2007年10月19日朝刊掲載)

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