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社説・コラム

[A Book for Peace 森田裕美 この一冊] 「遠い接近」 松本清張著(文春文庫)

召集のからくりに迫る

 没後30年に当たることしも関連書籍の刊行や原作の映像化が相次いだ。ただそれは常なる現象。この作家に節目というものは関係ないのかもしれない。

 「社会派」と称され、推理小説をはじめあらゆる作品をのこした松本清張(1909~92年)。本作は、自身の従軍体験を色濃く反映した長編ミステリーである。71~72年に雑誌連載され、75年にはNHKのドラマにもなった。

 自営の色版画工として両親と妻、3人の子どもを養う山尾信治の元にある日、召集令状が届く。一家の働き手が兵に取られては家族の暮らしは成り立たない。11年前の徴兵検査で不適格とされ、とうに30歳を過ぎた自分に今なぜ…。身体検査で受付係がつぶやいた「ハンドウを回されたな」という言葉を端緒に、山尾は役所の召集令状発行のからくりに迫っていく。

 たった一枚の紙きれは、山尾の人生のみならず、残された家族の運命も大きく狂わす。過酷な教練と私的制裁で軍隊組織の不条理をこれでもかと味わった山尾が帰還すると、広島に疎開した家族はみな原爆で命を奪われていた。ここから山尾の壮絶な復讐(ふくしゅう)劇が始まる。

 読者は山尾と共に真相を追いながら、小役人の個人的感情や作為で善良な市民が地獄に送り込まれるメカニズムの恐怖を追体験することになる。そして山尾の復讐に伴走するも、やりきれなさでいっぱいになる。

 巨大な権力に、筆で対峙(たいじ)し続けた清張は、本作で突き付ける。そうした権力を成す組織も結局は一人一人の集合体であり、図らずも私たちは山尾にも、権力の歯車の一部にもなり得るのだ、と。

これも!

①「松本清張への召集令状」森史朗著(文春新書)
②「任務」松本清張著(中央公論新社)
③「神と野獣の日」松本清張著(角川文庫)

(2022年12月26日朝刊掲載)

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