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連載・特集

前略カープ新井さん <1> 佛圓弘修・広島都市学園大教授(67)=広島・天満小時代の担任

 広島の新井貴浩監督は多くのファンの期待を背負っている。愛される人柄が育まれた背景は何か。リーダーシップの源とは。学生時代の恩師やプロでのコーチ、見守るカープ女子たちが「新井さん」の思い出を語り、応援メッセージを送る。

はだしのゲンのように、皆の太陽に

 教師は「冬の太陽」であれ。教え子が困っている時、温めて一筋の光明をもたらしてあげたい。新井君の調子がいい時、私は何も心配しない。それでも、どん底に突き落とされることがあれば、絶対に手を差し伸べる。監督になったことは心配半分、うれしさ半分。試練にどれだけ踏ん張れるか。ファンの思いに応えてくれるという期待も、すごくある。

 教員生活を振り返っても、本当に濃い一年だった。小学3年、新井君の存在感。身長は頭一つ抜け出て、性格は負けず嫌い。学級代表には満票で選ばれた。上級生にドッジボール対決を仕掛けられ、堂々と受けて立つ。水泳教室に通う同級生に苦手な泳ぎで勝負を挑んで大負けしても、その闘志が仲間から喝采を浴びたこともあった。

 優しい男だった。同級生に障害があり、内気で言い返せない男の子がいて、時に周囲にからかわれていた。私はいつも注意したが、ある時気付いた。誰かにからかわれ始めると新井君が近寄り、そっと男の子の手を握る。そうすれば、みんな何も言わなくなった。

 放課後はいつも学級文庫の本を読んでいた。中沢啓治先生の「はだしのゲン」だ。飽きずに何度もページをめくっていた。その年始まった広島市天満小の平和教育プロジェクト『プラタナス集会』の実行委員の一人に、3年生ながら加わった。

 小学4年の転校後も関係は続いた。プロ入り後、何度か手を差し伸べた。阪神移籍後、レギュラーを失った時もそうだ。私は当時、闘病されていた中沢先生と面識があり、2人を引き合わせる機会を設けた。

 伺った病床で、新井君は訴えた。「僕はゲンになりたいんです」。ゲンは原爆で親、きょうだいを亡くした。それでも家族のような仲間をつくり、がむしゃらに、皆で幸せに生きようとした。「漫画家冥利(みょうり)に尽きるのお」。私たちが持参した新井君の手あかで真っ黒になった「はだしのゲン」をなでながら、中沢先生はおっしゃった。

 監督になった新井君は今「チームは家族」と言い続ける。私の中でリンクした。目指しているのはゲンの生き方そのものではないか。生来のリーダーシップ。彼はみんなの太陽になれる。そう信じている。(聞き手は五反田康彦)

ぶつえん・ひろのぶ
 1955年、広島県熊野町出身。広島市内の小学校、教育委員会に勤務。2016年4月から広島都市学園大子ども教育学部で先生の卵を育てる。同年、絵本「新井貴浩物語 がむしゃらに前へ」を監修した。専門は人権、平和教育。

(2022年12月24日朝刊掲載)

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