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平和の礎への刻銘申請 沖縄戦犠牲 広島県出身者296人分 故岡本さん調査などが後押し

 広島県は太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者名を刻む碑「平和の礎(いしじ)」(沖縄県糸満市)に戦艦大和の乗組員たち県出身の戦没者296人の名前を追加するよう沖縄県へ申請した。今月、70歳で亡くなった広島経済大名誉教授の岡本貞雄さんたちによる戦没者の調査が後押しした。

 平和の礎は、国籍や軍人、民間人を問わず沖縄戦で亡くなった全ての人の名前を刻んでいる。現在24万1632人の名前が並び、うち広島県出身者は1376人いる。県は今月、沖縄へ向かう途中の1945年4月7日に鹿児島県南西沖で沈没した大和の乗組員や特攻隊員たち計296人について申請した。

 沖縄県の審査を経て沖縄戦での犠牲が認められた人は毎年6月23日の「慰霊の日」に先立ち刻銘される。沖縄以外の出身者の追加の刻銘は年月とともに減少傾向にあり、2022年度は55人だった。広島県社会援護課は「これだけ多くの人数を一度に申請するのは異例」としている。

 申請が実現した背景には岡本さんの尽力がある。戦争体験者の証言を集める活動に奔走し、07年からは毎年、教え子の大学生を連れて沖縄の戦跡を歩く活動を続けた。「沖縄戦で命を落とした一人一人に思いをはせるきっかけに」と県出身の戦没者の調査を進め、22年2月、平和の礎に名前のない295人分の資料を県に提出していた。

 県が別の特攻隊員の遺族から提供を受けた1人分の資料と合わせ、沖縄県に申請したのは今月21日。岡本さんが前立腺がんで亡くなったのはその前日だった。

 調査に協力した呉海軍墓地顕彰保存会(呉市)の竹川和登副理事長(78)は「岡本先生の熱意あってこそ明らかになった事実。亡くなられた人の名前が碑に刻まれることで、戦争の悲惨さを後世に一層伝えることができる」と力を込める。(久保友美恵)

(2022年12月29日朝刊掲載)

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