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社説・コラム

天風録 『ウサギの耳』

 穏やかな朝である。物の値上がりやコロナ禍、東欧の戦火など気掛かりなことは尽きないが、正月くらいは心静かに過ごしたい。干支(えと)にちなんで「ウサギの島」に渡り、柔らかさに触れてもいい▲竹原市沖の大久野島。半世紀前に放され、今や数百匹となった。かわいい姿に癒やされようと、観光客が続々と。外国人も珍しくない。港の近くでは人懐こいのが何匹も待つ。家族連れが差し出した餌をかじり始めた▲平和な光景を横目に歩を進めると、島のもう一つの顔と出合う。戦争中、秘密裏に毒ガスを製造した。砲台や火薬庫の跡が暗い時代を物語る。遺構そばにも、ウサギが耳を寝かせて丸くなっている。〈争はぬ兎(うさぎ)の耳やかたつぶり〉榎本其角(きかく)▲そっと触れたつもりが、体を一瞬ビクッとさせる。デリケートな動物である。なでていると、近くの2匹がぴょんぴょん追いかけっこを始めた。向こうには外敵を警戒してか、長い耳を動かすのも。しぐさが愛らしい▲小さな物音も聞き漏らさぬ耳。そう言えば人間にも聞く力に、自信を示す首相がいる。しかし耳を寝かせてはいないか。立てた耳もちゃんと国民の方へ向いているか。聞く力の真価が問われている卯(う)年。

(2023年1月1日朝刊掲載)

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