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社説・コラム

社説 展望’23 核なき世界 広島の訴え さらに強く

 目は覚めたものの、まだ重苦しい夢の中にいる―。新たな年を迎えても、世界は、そんな雰囲気に包まれたままではないか。

 とりわけ、ロシアに侵攻されたウクライナ。10カ月過ぎたが、戦火がやむ気配はない。軍部の横暴が止まらないミャンマーをはじめ世界の各地で、平穏な日々を奪われた人々の苦難は年をまたいだ。

全人類を危機に

 あろうことか、核兵器の使用まで、ロシアのプーチン大統領はちらつかせている。さらに、米国のミサイル防衛網を突破できるとされる最新型の重量級大陸間弾道ミサイル(ICBM)を近く実戦配備する、という。

 全人類をも危機に陥れようとしているかのようだ。「核戦争に勝者はなく、戦ってはならない」。自身も1年前に誓った言葉をプーチン氏は忘れ去ったのか。

 核兵器も戦争もない世界を訴えてきた広島にとって、看過できない事態が続く。被爆地からの発信をさらに強めねばならない。

 力を信奉する国は、ロシアに限らない。中国は核兵器を含めた軍備増強を加速させている。運用できる核弾頭は2035年には約1500発になる公算大だと米国防総省は推測している。従来の想定を大きく上回る速さだ。北朝鮮は国際社会の批判や経済制裁をものともせず、きのうも含めてミサイル発射を再三強行している。

 身勝手な振る舞いの周辺国に対し、日本国内では、敵基地攻撃能力をはじめ、防衛力増強が必要だ、との主張が勢いを増す。ただそれが何をもたらすのか、冷静に見極めることが求められる。

 一方が力を持てば、他方を刺激して、果てしない軍拡競争に陥りかねない。日本にとっては、専守防衛という戦後の土台を突き崩すことにもなる。危機感にあおられ議論を深めぬまま、防衛力増強に突き進むのは危険この上ない。

 そんな状況だからこそ、今年で没後70年になる被爆詩人の叫びを思い起こしたい。峠三吉の「原爆詩集」の一節である。

 くずれぬへいわを
 へいわをかえせ

 力を信奉し軍拡競争を続ける限り、持続可能な平和は望めない。核兵器があれば、なお危うい。人類の頭上に核兵器がぶら下がっているようなものだからだ。被爆地の原点とも言える峠の叫びを改めてかみしめたい。

常にリスク存在

 核兵器があれば、使われるリスクは常に存在し続ける。偶発的事故や人為的ミスによる誤発射が核戦争の引き金を引き、人類の自滅を招く恐れもある。米国でかつて核戦略に携わった人たちが、そんな警告を発し始めて久しい。

 人間は間違いやすく、機械は故障する。薄氷の上に載った核抑止論は神話といえよう。仮に安全や平和が得られたとしても、つかの間に過ぎない。「核のボタン」を持つ指導者が理性を失うことも、あり得るし、今まさに起きていることかもしれない。揺るがぬ平和を築くには、どんなに困難でも、核兵器をなくすしかないのだ。

サミット生かせ

 核廃絶を核保有国に迫る好機が巡ってくる。5月に広島市で開かれる広島サミットだ。参加する先進7カ国のうち、米国、英国、フランスは核保有国だ。英仏首脳の被爆地訪問は初めてとなる。

 広島に来る以上、被爆証言を聞き原爆資料館を見学して、核兵器が人間や街に何をもたらすのか、知ってもらうことが必要だ。その上で、核廃絶に向けた道筋や具体的な行動を保有国に考えてもらうきっかけにすべきである。

 そうしなければ、広島開催の意義は失われる。単なる「貸座敷」にされることは許されない。政府の責任は重い。

 厄介なのはロシアや中国かもしれない。ただ、かつて中ロも加わり「核兵器廃絶への明確な約束」で合意した。00年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議での場面だ。核なき世界を目指す国際世論の成果は今も色あせてはいない。

 約束を守らせるため、被爆地から大きなうねりを起こそう。それを機に「くずれぬへいわ」に道を開く1年にしなければならない。

(2023年1月1日朝刊掲載)

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