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永井隆博士提唱 「燔祭説」研究し博士号 原爆資料館元学芸員の四條さん

 広島市の元原爆資料館学芸員で、現在は長崎大の客員研究員を務める四條(旧姓勝部)知恵さん(35)=長崎市=が、長崎の被爆医師、永井隆博士(1908~51年)が唱えた「燔祭(はんさい)説」の影響について研究し、九州大で博士号を取得した。

 永井博士は熱心なカトリック信者で、著書「長崎の鐘」「この子を残して」がベストセラーになるなど、原爆被害を語る長崎を代表する知識人だった。「怒りの広島」と対比される「祈りの長崎」のイメージの原点のような存在でもある。

 燔祭説では、動物を祭壇で全て焼いて神にささげる宗教行事「燔祭」を念頭に、カトリック信者が多く住んでいた長崎市浦上地区への原爆投下を「神の摂理」だと指摘。死没者は神にささげられた犠牲と捉えた。

 この考えは、米国の原爆投下責任から目を背ける側面があり、米軍に受け入れられ、占領時代は脚光を浴びた。「被爆死した人の燔祭により平和がもたらされた」との主張には批判もあったが、カトリック信者には希望を与え、広まった。

 しかし、信者ではない多くの被爆者を含めた長崎全体で見ると、影響力は限られていた。特に81年のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の日本訪問以降は、キリスト教界でも、原爆被害の悲惨さを語り継ぐ意義を強調する法王の発言が主流になっていった。

 博士論文では、燔祭説の影響力は従来考えられていたより小さかったとの結論を示している。四條さんは「長崎での原爆の捉え方の特徴を広島と対比させてさらに掘り下げ、いずれは本にまとめたい」と話している。

 四條さんは、広島市安佐南区出身。2000年から6年間、学芸員として原爆資料館で展示の企画などに携わった。結婚を機に長崎市へ移り住み、長崎原爆資料館に短期間勤めた後、08年から九州大大学院で学び、昨年夏に博士論文を仕上げた。11月から長崎大核兵器廃絶研究センター客員研究員。(宮崎智三)

(2014年1月20日朝刊掲載)

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