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広島復興 伝える内実 建築史家・石丸さん 計画策定者や住民に聞き取り

 原爆投下による廃虚からの復興を担った関係者の貴重な証言テープを、広島市公文書館はデジタル保存し、書き起こす作業を始めた。建築史家で元広島大教授の石丸紀興(のりおき)さん(73)が1978~85年にかけて聞き取り、録音した。市が新年度から予定する「被爆70年史」(仮称)の編さんに生かし、公開もしたいとしている。(編集委員・西本雅実)

 復興計画を練った竹重貞蔵氏(当時、広島県都市計画課長)、特別立法を連合国軍総司令部(GHQ)にも要請した任都栗司氏(広島市議会議長)、49年制定の広島平和記念都市建設法の草案を書いた市出身の寺光忠氏(参議院議事部長)、平和記念公園を設計した丹下健三氏…。

 広島復興のキーパーソンをはじめ84人の証言テープの保存・文書化を当面進める。アナログ録音されたテープは1人につき約1~3時間からなる。

 内務省出身の竹重氏は出勤途中に被爆。翌46年に国の戦災復興院で決定された復興計画に込めた考えを詳しく証言している。

 「広島は川の都市だから河岸緑地を重点とし、100メートル道路(現平和大通り)はグリーンベルトの考えで線を引いた」「平和記念公園は、ドームを中心に原爆を記念する公園にしようと住民の反対を押し切って決めた」

 土地区画整理を分担した県、市の担当者や、食糧増産から現在の県庁一帯に入植した「青空クラブ」の主宰者、土地の大幅な減歩を求められ訴訟を起こした住民リーダーも、復興をめぐる明暗を率直に語っている。

 石丸さんは「ヒロシマの骨格を規定した計画思想と進め方をたどり、今後の都市計画を探るために役立ててほしい」と、長崎や名古屋市などの復興関係者の証言を含む所蔵テープを寄贈した。

 市公文書館の中川利国館長は「苦闘と葛藤が織り成した復興の内実を伝える貴重な記録だ」と話し、内容を精査して公開する考えである。

広島の復興事業
 廃虚の土地区画整理は、広島市が東部の785ヘクタール、県が西部の537ヘクタールを担当。広島平和記念都市建設法で戦災復興事業補助金が増額され、国有地34ヘクタールの無償譲渡が実現した。整理事業で道路・公園は拡充したが、住民は立ち退きを迫られ、行き先のない人たちは河岸緑地などに家屋を建てた。老朽住宅が密集した基町地区の再開発事業が完了したのは1978年だった。

(2014年1月20日朝刊掲載)

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