×

連載・特集

緑地帯 本田美和子 写された広島城①

 写真技術が日本に伝わってきたのは、江戸時代の嘉永元(1848)年のこととされている。当初は機材や薬品が高価だったため、関心を寄せたのはその多くが大名であった。広島城の姿をとらえた写真が最初に撮影されたのは元治元(1864)年のことであるが、撮影者は前尾張藩主の徳川慶勝だった。

 その後明治時代に入ると一般にも普及しはじめ、やがて名刺大の名所写真や着色された横浜写真などが出回るようになる。さらに人々が写真を多く目にするようになるのは、明治33(1900)年の郵便法改正によって絵はがきの発行が可能になって以降のことであろう。同37(1904)年に勃発した日露戦争の記念絵はがきが大ブレークしたのを契機として爆発的な人気を得て、以後膨大な数の写真入り絵はがきが作られた。マスメディアが未発達だったこの時代、人々が広島城の姿を知ることができたのは、名所絵はがきによるところが大きかっただろう。

 一方、昭和に入ると個人で写真撮影を楽しむ人も増えてきて、広島城で撮られた記念写真も見られるようになる。こうした記念写真は絵はがきにはない魅力に満ちている。

 戦前・戦後に撮影された写真から分かる広島城の姿についてお伝えしていきたい。 (ほんだ・みわこ 広島城学芸員=広島市)

(2023年1月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ