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社説・コラム

『潮流』 複数形のヒロシマ

■呉支社編集部長 道面雅量

 入社した年の夏、よちよち歩きの新人記者だった頃の記憶である。広島の本社にかかってきた電話を取ると、呉の読者で紙面に言いたいことがあるという。高齢の女性と思われる声で「また原爆のことばぁ書いてから。呉の人間も戦争でひどい目に遭うたんよ」。面食らって、こちらからは何らまともな返答はできないまま、電話は切れた。忘れられない。

 戦争の悲しみ、苦しみは日本と世界の至る所に刻まれ、ウクライナをはじめ今も生み出され続けている。4年前に呉支社に着任し、呉空襲をはじめ「呉と戦争」に関わる記事の展開に力を注いできた。それでも、あの声に応えることができている自信はない。

 父親を沖縄戦で亡くした呉市の元小学校教諭、渡辺敞子(あきこ)さん(81)は、昨年12月に70歳で亡くなった広島経済大名誉教授の岡本貞雄さんや学生たちと共に、沖縄の戦跡を歩く活動を重ねてきた。父の面影を追う旅でもあったが、行く先々で「広島は大変でしたね」と原爆についての言葉を掛けられ、「広島の人は、どれほど沖縄に関心を寄せているだろうか」との思いが募ったという。

 昨夏には呉市で、日本復帰50周年の沖縄に思いを寄せ、平和について考える映画上映会を開いた。岡本さんも病を押して舞台あいさつに登壇した。そんな岡本さんの姿について、渡辺さんは「机上でなく、体を通して戦争を共に学ぼうとされていた。一方的な発信ではなく、他に学ぶ姿勢が一貫していた」と振り返る。

 「ノーモア・ヒロシマ」のヒロシマは、英文としては複数形の「s」がつくのが文法上正しいという。広島市で5月にある先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)も、被爆地からの発信とともに、戦争の廃絶に向けて「複数形のヒロシマ」を思う機会としなければと感じている。

(2023年1月10日朝刊掲載)

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