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郭貴勲さん死去 在外被爆者援護に力 98歳

 海外に住む被爆者(在外被爆者)の援護実現に尽力してきた韓国原爆被害者協会の名誉会長、郭貴勲(クァク・クィフン)さんが12月31日午後11時58分、脳出血のため韓国・京畿道広州市の病院で死去した。98歳。全羅北道出身。

 1944年、全州師範学校在学中に徴兵され、広島市の西部第二部隊に入り、爆心地から約2キロの工兵隊兵舎前(現中区白島北町)で被爆。復員後、韓国で教員になった。67年の韓国原爆被害者援護協会(現韓国原爆被害者協会)の創設に参画。92年から会長を務めた。

 「被爆者はどこにいても被爆者」と唱え、韓国への帰国を理由に被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給が打ち切られたのは違法として、98年に国や大阪府を相手取り大阪地裁に提訴。一審に続き、2002年12月の二審判決でも勝訴して国の上告断念を勝ち取り、在外被爆者の援護拡充へ道を切り開いた。

「司法や政治動かした」 関係者ら功績たたえ悼む

 韓国原爆被害者協会名誉会長の郭貴勲さんの訃報を受け、在韓被爆者を支援してきた関係者や広島の在日韓国人たちは、在外被爆者援護で果たした功績をたたえ、悼んだ。

 「全身全霊を懸けて動き回っていた。思いや経験が込められた言葉には重みがあり、司法や政治家を動かした」。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」(大阪府)の市場淳子会長(66)は、郭さんの長年の奔走や苦しみに思いをはせた。

 日本でも海外でも被爆者は同じように救済されるべきだ―。韓国に帰国後の健康管理手当の支給継続を求め、郭さんが2002年に勝ち取った司法判断は、在外被爆者に手当を支給しないと定めた1974年の旧厚生省局長通達の廃止につながった。半世紀にわたる親交があった同会広島支部の豊永恵三郎世話人(86)は「援護を勝ち取る上で原動力となり、中心的な役割を果たした」と振り返る。

 19年4月の原爆資料館(広島市中区)のリニューアル時には、郭さんは自らの被爆証明書や創氏改名を強いられた「松山忠弘」名の軍隊手帳をレプリカにして提供。6月に資料館を訪れ、「外国人被爆者コーナー」に常設展示された植民地支配下での戦争と被爆の記録に向き合った。

 「在韓被爆者のシンボルのような人だ」と惜しむのは、韓国原爆被害者対策特別委員会の権俊五(クォンジュノ)副委員長(73)。「朝鮮半島にゆかりのある広島在住の被爆者が、自らの苦しみや被爆体験を語り継ぐ上でも大きな影響を与えた」と敬意を表した。 (小林可奈)

(2023年1月3日朝刊掲載)

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