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連載・特集

緑地帯 本田美和子 写された広島城④

 今回は天守と共に写真におさまった人に注目してみたい。まず、大正5(1916)年、広島の空を一人のアメリカ人飛行機野郎が飛んだ。彼の名はアートスミス。スミスはアメリカ製カーティス複葉機を携えて来日し、広島でも天守上空で宙返りや逆さ落としなどの曲芸飛行を行った。この時飛ぶ彼の愛機と天守が写った写真が掲載された記念絵はがきが発行されている。なお、アートスミスの飛行を東京で見た広島市京橋町出身の山縣豊太郎が、大正8(19)年に日本人で初めての宙返りに成功することになる。同年、彼は広島でも飛行を行い、天守近くで9回連続急降下を行ったという。

 天守には皇太子時代の大正天皇と昭和天皇が登ったことが知られており、昭和天皇については写真が残されている。昭和天皇が広島に来られたのは大正15(26)年5月24日のこと。広島城本丸にあった大本営に宿泊していたが、翌日急に近接していた天守に登りたいと言い出されたようだ。最上階から周辺を見る皇太子の姿が写真に収められている。

 有名人とは別に、一般の人が天守と収まった記念写真も昭和時代になると増えてくる。そうした一枚に花見をする男性の写真がある。彼は天守の東下に設けられた椅子にゆったり座って桜花爛漫(らんまん)を楽しんでいる。当時、旧広島城内は全域が軍用地になっていたのだが、花見をすることもできたのだ。しかしよく見ると、写真の奥には軍人の姿も確認できる。これでは酒を飲みながらどんちゃん騒ぎはできなかっただろうが、こんなのどかな写真を撮ることはできたのだ。(広島城学芸員=広島市)

(2023年1月11日朝刊掲載)

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