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連載・特集

[広島サミットに寄せて] 「戦争ノー」誓う場に 歴史研究家・被爆者 森重昭さん

 歴史研究家で被爆者の森重昭さん(85)=広島市西区=は、2016年5月に米国の現職大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏に「抱擁」される姿が世界へ伝えられた。あの時と同様、ヒロシマに注目が集まる先進7カ国首脳会議(G7サミット)。バイデン米大統領たちが平和の大切さを肝に銘じ「戦争は絶対しない」と誓い合うよう願う。(聞き手は桑島美帆)

 己斐国民学校(現西区)3年生だった8歳の時、分散授業へ向かう途中に爆心地から約2・5キロの己斐町で被爆した。記憶を基に地域の被爆状況をたどる中で、1975年、広島で被爆死した米兵について調べ始めた。済美国民学校(廃校、現中区)の校庭で米兵の遺体を見た、と書かれた校長の手記を読んだのがきっかけだった。

 私も2年生まで済美へ通っていた。もし転校していなかったら、死んでいたかもしれない。「俺がやらずに誰がやるのか」。ただその一心で、12人の米兵の被爆死を突き止め、遺族を捜し出し、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(中区)に遺影を登録した。

  ≪平和記念公園(中区)を訪れたオバマ氏との対面により、被爆米兵を巡る地道な活動は国内外で広く知られるようになった。≫

 広島訪問の3日前に突然、米側から連絡があり、当日、最前列へ案内されてびっくりした。オバマ大統領の長い腕に抱かれた瞬間、長年の苦労が報われた気がして感極まり、涙が出た。目の前の大統領は、菩薩(ぼさつ)のように見え、心の底から核廃絶をしようとしているように感じた。しかし、現実には議会が許さなかったのだろう。ものすごくジレンマを抱えていたと思う。

 ≪オバマ氏が平和記念公園に滞在したのは52分。演説では原爆投下を「空から死が降ってきて」と表現して責任の所在をぼかし、被爆者への謝罪もなかった。その後の米政府は核兵器の近代化、小型化を進めている。広島サミットが「同じような政治ショーの貸座敷になってはならない」と指摘する声もある。≫

 首脳たちは、原爆資料館(中区)をじっくり見学し、被爆者から直接、78年前の広島で何が起こったのかを聞いてほしい。現代の核兵器は、われわれが体験した物より何十倍もの威力がある。核兵器だけではない。ウクライナの惨状から、効率的に人を殺す兵器が開発されていることが分かり、恐ろしくなる。

 広島サミットは世界のメディアが注目するはずだ。バイデン大統領たちが平和の大切さを肝に銘じ「戦争は絶対にしない」「核兵器をゼロにする」と決断し、自らの言葉で発信することを期待している。

もり・しげあき
 1937年、広島市己斐町(現西区)生まれ。中央大経済学部卒。山一証券に入社後、67年に日本楽器製造(現ヤマハ)へ転職。会社勤めの傍ら、被爆死した米兵の調査を続け、2008年に「原爆で死んだ米兵秘史」を出版。16年に菊池寛賞、17年に日本記者クラブ賞、米日財団功労賞を受賞した。

(2023年1月11日朝刊掲載)

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