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連載・特集

緑地帯 本田美和子 写された広島城⑤

 被爆直前の旧広島城内には全域に軍事施設が立ち並んでいたほか、本丸の大天守・中御門、二の丸の表御門・多聞櫓(やぐら)・太鼓櫓といった城郭建築物が残されていた。うち大天守は国宝に指定されている。しかし、昭和20(1945)年8月6日、原子爆弾の投下により城内の軍事施設・城郭建築物ともに倒壊あるいは炎上し、灰燼(かいじん)に帰した。その無残な様子も多くの写真に残されている。

 特に印象的なのは天守の様子である。多くの人々によってその姿が写真に収められているのだが、中でも中部軍管区司令部の調査団と共に広島入りしていた朝日新聞大阪本社写真部の宮武甫氏によるものは、同年8月10日から12日の間に撮影されており、最も早い時期の写真である。それを見ると、天守の残骸が天守台および東小天守台の上に山積みになっているのが分かる。爆風によって北側内堀に吹き飛ばされたという説もあるが、同年秋ごろまでに撮影された航空写真などを見ても、天守台の北側に落下した材木はあるものの、内堀に大量の残骸がある様子はない。宮武氏の写真から推測するに、やや北東側に傾きつつほぼその場で崩れ落ちたと思われる。なお、周辺の建物が炎上しているのに対して、焼失は免れており、それが故に大変印象的な姿となっている。

 これらの木材は、同年10月ごろまではそのままの姿をさらしていたが、以降市民の生活再建のため徐々に持ち去られたと言われており、やがて天守台の上から姿を消した。しばらくその状態が続き、6年の歳月が流れることになる。(広島城学芸員=広島市)

(2023年1月12日朝刊掲載)

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