×

社説・コラム

『想』 西村宏子(にしむらひろこ) 出会いと感動の日々

 広島市の江波皿山の麓に小さな資料館「シュモーハウス」がある。広島平和記念資料館(原爆資料館)の付属展示施設として2012年に開館し、昨年10周年を迎えた。名称は米国のフロイド・シュモー氏に由来し、被爆後の広島に寄せられた海外からの支援を伝えている。

 シュモー氏は、米カンザス州出身の森林学者。広島・長崎への原爆投下に深く心を痛め、住まいを失った人々のために家を建てようと決意。資金を集め、米国から同行した仲間や日本の学生ボランティアと一緒に汗を流し、1949年から53年までに住宅20戸と集会所1戸の「広島の家」を完成させた。

 家づくりとともに目指したのは平和の構築。建築現場に「お互いを理解し合い、家を建てることによって平和が訪れますように」と記した看板を掲げた。国籍・人種・宗教などさまざまな違いを持つ人々が、力を合わせて働くことで互いを思いやる気持ちと友情が生まれた。これほどまで思いが詰まった建物も老朽化や住宅事情の変化に伴い撤去されていった。1棟残されたのが今のシュモーハウスだ。

 シュモー氏は94歳で米シアトルに公園を造り、右手に折り鶴を掲げ持つ佐々木禎子さんの像を据えた。03年、像の右腕が切断される事件が起こり、修復活動が始まったと聞いた。それがシュモー氏との出会いである。

 「平和運動は言うことではない。行うこと」というシュモー氏の言葉と体現したことに強く惹(ひ)かれ、足跡をたどる旅が始まった。「広島の家」建設に携わった人々にも会ったが、いずれも「楽しかったなぁ」と思い出を語ってくださった。彼らとは今も交流を重ねている。19年、シュモー氏の孫や妻富子氏らが暮らすシアトルに赴いた。

 「フロイド・シュモーの一番大切なことは世界平和。二番が家族と友達。三番目がアップルパイ」と、家族だからこそ語れる逸話や記憶を共有できたことに高揚感を覚えた。会ったことも言葉を交わしたこともないシュモー氏が、時を超えてなお、人の縁を繋(つな)いでいる。(シュモーに学ぶ会代表)

(2023年1月12日朝刊セレクト掲載)

年別アーカイブ