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社説・コラム

天風録 『司馬と馬毛島』

 紀行「街道をゆく」の執筆のため司馬遼太郎が鹿児島・種子島を訪れたのは1975年。鉄砲伝来の故事もさることながら海岸の道から見えた小島を巡る逸話に紙幅を割いた。馬毛島である▲歴史ファンにはおなじみの人物だろう。西郷隆盛の腹心で「人斬り」の異名も取った桐野利秋が西南戦争に決起の直前、この島で配下の若者たちと盛大なシカ狩りをした、と。シカの群れであふれる島の様子が伝わる▲むろん島には人も暮らした。周りはトビウオの漁場であり、戦後は開拓が進むも離島が相次ぐ。司馬が島影を目にした頃は200人を切っていた。やがて無人と化し、開発案が迷走した末についに島ごと自衛隊基地へ▲防衛省がきのう工事に着手した。滑走路を造って騒音が激しい米艦載機の訓練を移す―。そんな触れ込みに加え、南西諸島をにらんだ陸海空の防衛拠点という位置付けになったようだ。足元に根強い反対を残したまま▲工事の先行きはまだ見通せない。滑走路と重なる場所に3万年前の遺跡が見つかったばかり。生き残った「マゲシカ」は絶滅危惧種である。恵み豊かな黒潮の道の中で太古からの時を刻む馬毛島の今を、司馬はどう見ているだろう。

(2023年1月13日朝刊掲載)

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