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社説・コラム

『ひと・とき』 仏在住の建築家 田根剛さん 土地の記憶 未来へつなぐ

 原爆資料館のピロティに立ち、平和記念公園を眺めた時、「時代と言葉を超えて平安のメッセージを感じた。未来をつくるのが建築家の役割と教えられた」と語る。尊敬する建築家に、戦後まもない広島市でそれらを設計した丹下健三を挙げる。「記憶は未来をつくる創造的な原動力。過去を知らずに未来はつくれない」

 仏パリを拠点とし、考古学のように土地の記憶を掘り下げるリサーチを重視する。旧ソ連が占拠した軍用地の滑走路跡を活用したエストニア国立博物館の設計で知られる。かつて戦闘機のごう音が響き、独立から20年余り手付かずだった場に命を吹き込んだ。

 当初は「負の歴史など見たくもない」と異論も出た。議論を重ね、コンペから10年かけて2016年完成。開館から6年で、約120カ国、100万人以上が訪れた。劇場や図書館も備え、音楽会やディナーショーなど年600~700件の催事でにぎわう。

 国の歩みをたどる常設展示を見終えた来館者が館外へ出ると、目の前には滑走路が真っすぐ延びる。「忘却でも抹消でもなく、負の遺産を未来へつなぐアイデアだった」。若くして広島の復興に挑んだ丹下の存在は、エストニアで計画を進める際の精神的支えにもなった。

 「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設する」。公園を整備する根拠となった広島平和記念都市建設法(1949年施行)に着目する。「広島は世界に対して大きな役割がある。自分たちが受け継いだ街をどうしたいか。あるべき都市像を見失ってはいないか。議論を惜しまないでほしい」

 2020年に明治期の倉庫を再生させた弘前れんが倉庫美術館(青森県)や、36年完成予定の帝国ホテル東京新本館も手がける。「壊しては造るを繰り返す成長には限界がある。街のアイデンティティーや風土と向き合い、未来を考えたい」(渡辺敬子)

(2023年1月13日朝刊掲載)

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