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連載・特集

緑地帯 本田美和子 写された広島城⑧

 昭和32(1957)年、広島の復興を内外に示す目的で広島市内の会場で「広島復興大博覧会」が開催されることになったのだが、その目玉の一つが大天守の復元であった。復元に関して国の許可が下りたのが10月12日、着工は同月20日、そして博覧会の開会式は翌33(58)年3月31日である。まさに突貫工事が進められたのだが、その中で意外な人の協力があった。

 再建にあたっては、国が戦前に作成していた立面図および断面図が基礎資料とされ、その外部の意匠については絵はがきなどの古写真などが参考にされた。ところが瓦については、写真からは寸法が分からない。残された実物もほとんどなく、担当者は内堀を潜って瓦を探したり、新聞紙上で瓦を持つ人を探したりしているが見つからなかった。最終的に協力を仰いだのは広島県警の鑑識課であった。広島城が収蔵している天守再建関係の資料に、天守を写した写真の瓦部分を拡大し、それにトレーシングペーパーをかぶせ、細かな数字などを書き込んでいるものがあるのだが、これは鑑識課の職員が寸法の割り出しを行ったものである。なお、屋根の最上部を飾っていた鯱(しゃち)瓦については、写真から寸法の割り出しはできたものの細部の意匠がわからず、同時代の福山城の筋鉄(すじがね)御門の櫓(やぐら)の鯱などが参考にされて造られている。

 こうして完成した天守は、今なおさまざまな人々に撮影され続けている。近くで写すもよし、遠くから堀と共に写すもよし、夜景も美しい広島城を、今後ともたくさん撮っていただければと思う。(広島城学芸員=広島市)  =おわり

(2023年1月17日朝刊掲載)

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