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連載・特集

『生きて』 ゼネラル興産会長 山下泉さん(1936年~) <4> 修道中・高

親友の亀井氏と出会う

  ≪広島市内の修道中に入学した≫
 中高一貫の男子校で、一学年6クラス、各60人だった。私は1年4組で、同じクラスに衆院議員として活躍した亀井静香君がいた。彼は現在の庄原市が実家だったから、のちに参院議員となる兄の郁夫さんと広島市中心部に下宿していた。

 亀井君は今日まで私の大親友だ。彼も田舎の学校から入ったから、市中心部から入学した同級生とは学力の違いがあることを痛感していた。成績は2人とも中間程度。私は数学と体育、音楽が得意だったが、他の科目はいくら頑張っても歯が立たない。100番以内には入れないし、落ちるのも早く、気を抜けばすぐ200番台になる。この時だけは勉強しなくてはと思うが、そう簡単には上がることができないほどレベルは高かった。どおりで、同級生は東京の大企業の役員や広島の有名企業の経営者、医者や学者など、出世した人ばかりだ。

 入学時に先生から修道の歴史について教えられた。1725年に広島藩主の浅野吉長が創始した藩学を源としている。物知りなだけではなく学力と人間性を両輪で培う「知徳併進」を校是とし、それを実践するために「質実剛健」の気風を守って「道を修める」が教育方針と聞かされた。

 私はこの質実剛健を一つの生き方として今日まで守ってきた。学業さえしっかりやっていれば大目に見られることが多く、自由闊達(かったつ)な校風だ。ただ、中学1年から高校3年までの生徒が一緒に生活するので、何かと要領よくしなければならなかった。学食での順番は特に上級生に気を使い、社会での生き方を学ぶ機会になった。

  ≪高校1年の時、亀井氏が東京・練馬の大泉高に転校する≫
 東京には東京大に進学した郁夫さんがいた。転校理由を「学校が通学定期の発行に必要な証明書に手数料を取るようにしたため、抗議しようとビラ配りをした。退学処分になる前に自分からやめた」と言っているが、私たち同級生は、お兄さんと同居をして下宿代を浮かせようとしたのだと考えている。政治家としては鋭い物言いだが、ああ見えて親思いの優しい性分なのだ。

(2023年1月27日朝刊掲載)

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