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米大学の平和資料 WFC現地調査へ 創設者レイノルズさんゆかり 保全探る

 NPO法人ワールド・フレンドシップ・センター(WFC、広島市西区)は来月上旬、米国オハイオ州のウィルミントン大平和資料センター(PRC)に服部淳子理事(60)=東区=を派遣する。WFC創設者で米国の平和活動家バーバラ・レイノルズさん(1915~90年)が開設したPRCに約1カ月滞在し、かつて広島から市民が贈った原爆文献やレイノルズさんの資料を調査。保全・活用策を検討する。

 原爆被害の実情を伝える資料を集めた「広島・長崎記念文庫」を備えたPRCは、レイノルズさんが提唱し、75年に開設された。大学側に働きかけると同時に、当時のWFC理事長、原田東岷さん(12~99年)に協力を要請した。原田さんは広島市の協力も得て平和団体や組織を集め「ヒロシマを知らせる委員会」(HAC)を発足。レイノルズさんの求めに応じ書籍や資料を贈った。WFCメンバーらも日本語文献の英訳、スライド制作などに力を尽くした。

 51年に原爆傷害調査委員会(ABCC、現放射線影響研究所)の研究員だった夫と広島に赴任したレイノルズさんは、原爆被害に胸を痛めて反核・平和運動に身を投じた。62、64年には被爆者たちと核保有国などを「平和巡礼」して原爆被害を伝え、65年にWFCを創設。69年の帰国後もPRCなどを通じて活動を続けた。

 広島市民が届けた文献などは、レイノルズさんと被爆地の関わりを伝える貴重な記録である。88年にHACが解散し、レイノルズさんが亡くなった後、WFCとPRCの交流が途絶えた時期もあったが、2015年ごろから再び機運が盛り上がり、双方での資料整理と情報共有が進められてきた。

 今回渡米する服部さんは通訳者で、WFCや元理事長・森下弘さん(92)が保管する膨大な資料の整理や調査に関わってきた。PRCでは関連資料の保全状態を確認するとともに、WFCで所在不明の資料が米国にないかなどを調べる。

 WFCではすでに、PRCへ贈った文献リストや本の内容を翻訳した原稿、米側とのやりとりを示す書簡、経費に関する資料などが見つかっている。服部さんは「資料から半世紀前の人々の熱意や息遣いを感じる。私たちはどう残し未来につなぐのか。日米で共有し、デジタル化などの作業を進めたい」。立花志瑞雄理事長も「戦後の被爆地の歩みを伝える資料を残し活用することは平和教育や世界への発信にもつながる。市民が連帯して検討していく必要がある」と話す。(森田裕美)

(2023年1月30日朝刊掲載)

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