×

連載・特集

[広島サミットに寄せて] 街挙げてもてなしを 広島商工会議所名誉会頭・被爆者 深山英樹さん

 広島商工会議所名誉会頭の深山英樹さん(81)は会頭在任中、2016年の先進7カ国首脳会議(G7サミット)の誘致へ、広島県や広島市と旗を振った。当時は実現しなかった分、今回の広島サミットへ寄せる期待は大きい。世界から注目が集まる機会に「平和あっての復興」を体現する街を知ってもらい、何度でも訪れてもらえるよう、広島を挙げた「もてなし」を呼びかける。(聞き手は榎本直樹)

 広島サミットを「核兵器のない世界」に向けたスタートにしてほしい。各国首脳は原爆資料館(中区)を訪れるとともに、何としても被爆者の生の声を聴いてもらいたい。

  ≪初の被爆地開催で、まず世界のリーダーたちに求めるのが世界恒久平和への一歩。背景には3歳10カ月の時、現在の南区東本浦町の自宅近くで被爆した経験がある。≫
 閃光(せんこう)の後、トウモロコシ畑がざわざわと揺れ、砂煙を上げて爆風が向かって来るのを見た。その後は覚えていないが、けがはなかった。応召して西練兵場(現中区)にいた兄は1週間後に亡くなった。痛みと苦しさでのたうち回る姿を今も忘れられない。

 過去の戦争や紛争の犠牲者がいて、成り立っている平和の中で生かされていることを忘れてはいけない。広島が原爆の惨禍から復興し、発展を続けてきたのは平和であったからこそだ。

  ≪広島は16年のサミット誘致はかなわなかったが、伊勢志摩サミット(三重県)後に平和記念公園(中区)にオバマ米大統領(当時)を迎えた。訪問行事に地元の財界代表として招かれ、前から2列目の席でヒロシマ演説を聴いた。≫
 オバマ氏の演説で、強く記憶に残った言葉が二つある。「理想は追い求めることに大きな価値があるのだ」「私たちはみな人類という一つの家族の一員であるということ。それが、私たちが広島にきた理由」。G7各国首脳にも伝えたい言葉だ。

  ≪その歴史的場面から7年。サミットは広島の名をさらに世界へ広め、交流人口の増加や国際会議の誘致につながるとみる。≫
 サミットの経済効果は、伊勢志摩サミットの例を見ても非常に大きく、国際的に知名度が高い広島でも大いに期待できる。国内外から訪れる人たちは広島や周辺地域の自然美、世界遺産、歴史的建造物、神楽、食材などの魅力を満喫し、二度、三度と来訪してもらいたい。

 地元企業やサミット関係者だけでなく、市民や県民も外国の方を笑顔で迎え、出会った際は英語で「ようこそ広島へ」と声をかけてはどうだろうか。来訪者に感激してもらえるようなホスピタリティーをオール広島で持つといい。

ふかやま・ひでき
 1941年、広島市南区生まれ。広島大政経学部を卒業後、64年に広島ガス入社。専務などを経て、2001年6月から約9年、社長を務めた。その後、会長に就き、17年6月に退任。広島商工会議所会頭の在任期間は10年12月~19年10月。

(2023年1月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ