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『生きて』 ゼネラル興産会長 山下泉さん(1936年~) <12> 中東の笛 東アジアで結束し打開

 広島県ハンドボール協会の会長として発足に携わったイズミ女子ハンドボール部は2001年、地場流通大手イズミ(当時広島市南区)から離れ、クラブチーム「広島メイプルレッズ」となった。イズミグループ以外にも、オタフクソース(西区)サニクリーン広島(現サニクリーン中国、中区)ゼネラル興産(中区)などの協賛企業が選手を雇用して支えた。

 林五卿(イム・オキョン)監督は「仕事に責任感が出たし、優勝する強い気持ちが芽生えた」と言っていた。03年の静岡国体では初優勝した。チームは地域の子どもたちの指導に取り組むなど、広島のスポーツ界になくてはならない存在になった。19年には、イズミの一層の地域貢献の方針や1社での単独チームにしたいとの決意に基づき、企業チームに戻った。チーム名も「イズミメイプルレッズ」に変更し、現在の活躍に至っている。

  ≪広島で多くの国際大会を成功させた実績を買われ、日本ハンドボール協会の常務理事、副会長に就く≫
 海外の関係者と友好を深める中で、一番ストレスがたまったのがアジア・ハンドボール連盟(AHF)との関係だ。AHFの会長は中東のクウェートから出される。中東はスポーツと政治を結びつける傾向がある。国際大会で中東に有利な試合が行われていた。後に問題となる「中東の笛」だ。

  ≪02年10月、東アジア・ハンドボール連盟(EAHF)を設立した≫
 東アジア諸国で結束しなければ中東と対等に戦えないと判断し、中国、韓国に呼びかけて連盟を立ち上げた。台湾、香港、モンゴルなどの関係者も会議に招待した。07年からは第2代会長を務めた。

 07年9月に愛知県であった北京五輪アジア予選決勝のクウェートと韓国の試合。AHFが審判を急にドイツからヨルダンに変え、クウェートが勝った。後日EAHFの役員が広島に集まり、公平を欠いた審判の証拠映像を集めた。国際ハンドボール連盟の理事会に提訴し再試合が決まった。五輪予選決勝の再試合は前代未聞だった。その後の国際大会はスムーズに運営できるようになった。東アジアの結束が重要と認識した。

(2023年2月8日朝刊掲載)

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