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連載・特集

[モノ語り文化遺産] 比治山ホール

広島 戦後の「三大建築」

元ABCC寮 不遇な命運

 比治山を上がった先にあるかまぼこ形の放射線影響研究所(放影研)、そこからさらに80メートルほど上がったところに、比治山ホール(広島市南区)はある。今年で築70年。人けはなく、コンクリート建築のガラス面が静かに陽光をはねる。窓からは広島市の街並みはおろか遠く海まで見渡せる。

 戦後の広島市の三大建築の一つ、と専門家は言う。丹下健三設計の原爆資料館(中区)、村野藤吾設計の世界平和記念聖堂(中区)と並ぶ、前川国男(1905~86年)設計の建物だ。戦後の建築作品を語る上でどれも欠かせない存在という。

 だが不思議なことに、三大建築の中で比治山ホールだけはあまり知られていない。資料館や記念聖堂のような大規模な公共施設ではないため当然といえば当然だが、ホールにまつわる物語をひもとくと、名建築でありながら不遇になった命運が見えてくる。

 前川の設計で完成したのは、資料館、記念聖堂とほぼ同時期の1953年。米国学士院が発注し、終戦直後に発足した原爆傷害調査委員会(ABCC)の職員寮として建った。鉄筋コンクリート製の2階建て延べ約1400平方メートル。主に単身者向けの約30戸は、米国人職員専用だった。

 フランスの巨匠、ル・コルビュジェ(1887~1965年)に師事した前川は、モダニズム建築の旗手といわれた。比治山ホールは初期作に当たる。広大な1階ホールに設計した円盤状の暖炉や、らせんのつり階段が、建築家の鋭意を伝える。

 前川の生前、事務所に在籍した京都工芸繊維大の松隈洋教授(65)=近代建築史=は「この年代の前川建築が現存していること自体が貴重」と話す。「細部にまで気を配っている。一貫して居心地の良い建築を目指した前川らしい」と説く。

 情熱を注がれた秀作は54年、雑誌「国際建築」3月号の表紙を飾る。建物内外を写した特集ページはどれも明るく、斬新な雰囲気が漂う。ところが、「設計監理」の欄をみると、前川の事務所スタッフの名前が連なるばかりで、前川自身の名はどこを探しても見当たらない。

 当時の資料は乏しく、設計に至った詳しい経緯は分からない。だが、前川たちは後に作成した「事務所経歴書」の作品目録に「ABCC職員宿舎」と明記しており、比治山ホールを自身の作と認識していたことは確かだ。ではなぜ、晴れ舞台の雑誌に自らの名を伏せたのか。

 松隈教授は「前川の心中は相当複雑だったに違いない」とみる。終戦後、市中には貧しいバラックが立ち並ぶ一方、自身は米国の潤沢な資金のもと米国人の快適な寮を設計する。最先端のデザインを形にできる恵まれた仕事であるが故に、胸中は察するに余りある。

 加えて、放影研に残る比治山ホールの図面には52年3月の日付が残り、占領下での設計だったと考えられる。終戦後、「進駐軍の仕事は受けない」とインタビューなどで公言していた前川。当初は被爆者の治療に期待があったABCCの設計に意義を見いだした可能性もあるが、ABCCはその後、研究を優先する姿勢が批判を浴びてしまう。

 比治山ホールは75年にABCCから放影研へ改組した後も、職員宿舎として使われ続けた。その頃には空室が目立つようになり、現在は放影研の役員2人が暮らす。動き出した放影研の移転計画に伴い、広島市はレストランの誘致を構想する。松隈教授は「単なるにぎわいの場にするのは疑問。歴史を踏まえた丁寧な議論が必要」と語る。(福田彩乃)

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 建築、アート、民芸品…中国地方は文化的遺産に事欠かない。中には広く知られないまま年月を経て岐路に立つものもある。その物語を記録し、行く末を探る。

モダニズム建築「評価の過渡期」

 築70年の比治山ホールが転換期を迎えたように、モダニズム建築は今、保存か解体か全国で対応が分かれている。市民団体「アーキウォーク広島」の高田真代表(44)は「装飾に乏しいモダニズム建築は現代人にとって一見平凡で価値が伝わりにくい」と話し、「評価の過渡期にある」と指摘する。

 モダニズム建築は、産業革命や市民革命を背景に生まれた建築スタイル。コンクリートやガラス、鉄を材料に機能性を重視する。前面にガラス窓を多用し、コンクリート造りの四角い外観をもつ比治山ホールは、その典型だ。

 中国地方ではほかに、村野藤吾設計の宇部市渡辺翁記念会館(1937年)▽丹下健三設計の倉吉市役所本庁舎(56年)と旧倉敷市庁舎(60年、現市立美術館)▽菊竹清訓設計の島根県立図書館(68年)―が代表例だ。

 前川国男設計の東京海上日動ビル本館(東京)は昨年10月から解体工事に入った。丹下が設計した旧香川県立体育館(高松市)は2014年に閉館後、今月になって解体の方針が持ち上がった。保存活用の機運が高まるには「イベントなどを通じ、重要性を市民で共有することが大事」と高田代表は語る。

(2023年2月10日朝刊掲載)

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