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社説・コラム

『書評』 広島 爆心都市からあいだの都市へ 高雄きくえ編

実体取り戻す視座提示

 「カタカナでフクシマと書かないでください」。2011年、福島出身者のことばである。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ。土地の名をあえてカタカナ表記する。そこには何が生まれ何が失われてきたのだろう。

 被爆70年の15年冬、ジェンダーの「眼」でヒロシマを検証する催しが開かれた。気鋭の研究者、ジャーナリスト二十数人が登壇、熱い時間を共有した。「少女・乙女・母」を象徴とすることによる「記憶の女性化」が指摘されたほか加害性や少数者の視点など多元的アプローチで「被害の象徴として語られてきたヒロシマ像」が打ち砕かれた。

 6年後の21年、この催しに連続性を持ちつつさらに思考を広げる試みがなされた。題して「ジェンダー×植民地主義 交差点としてのヒロシマ連続講座」。前置きが長くなったが、本書はそれを基にした論考集であり、ヒロシマを「広島という都市」、すなわち市民の在りようを含むこの町の実体をとらえ直す―というたくらみを感じさせる。

 22人の執筆者は広島を「あいだの都市」などと提示する。あなたにとって、私にとって、この町は何と名付ければよいのか。フェミニズムや植民地主義という複合的視線にさらされた時、この町はどのような顔を見せるのだろう。

 420ページを超える本書は、興味のある項目から読み始めるのも、それまでの関心とは異なる項目から読むのもありだと思う。例えば旧陸軍被服支廠(ししょう)、在日朝鮮人史、性的少数者、あるいは「この世界の片隅に」現象について、などなど。

 政治的に利用され消費され空洞化していく概念としての「ヒロシマ」が今を生きる都市としての実体を取り戻すための視座。名実ともに持ち重りのするこの一冊は、暗雲立ち込める未来への一条の光かもしれない。加えてこうした試みの根幹には、被爆者であり女性史家であった故加納実紀代さんの存在がある。ヒロシマを問い続けた加納さんの著作も併せて読まれたい。(中澤晶子・児童文学作家)

インパクト出版会・3300円

(2023年2月12日朝刊掲載)

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