×

社説・コラム

『潮流』 永田町の住人

■東京支社編集部長 下久保聖司

 永田町を見続けた論客2人の訃報が先週木曜日の紙面に並んで載った。「ご意見番」と呼ばれた評論家の森田実さんと、日本経済新聞に身を置いた田勢康弘さん。この田勢さんが1994年に出した「政治ジャーナリズムの罪と罰」(新潮社)は懐かしい一冊だ。入社前に先輩から読んでおくよう勧められた。

 官邸担当記者の前で同性婚や同性愛者への差別発言をした首相秘書官が更迭された一件があり、図書館で借りて改めて読み返した。

 政治の劣化は報道の側にも責任があると論じる田勢さん。「いかにして個々の政治家に『食い込む』かを競っている記者たちは関心も、そして視点も永田町の住人と同じになる」と、自戒を込めてつづっている。

 わが身に刺さる言葉でもある。昨春まで3年間、官邸詰めの記者として安倍晋三、菅義偉、岸田文雄の3首相と向き合った。記者会見では正面から切り込んだつもりだが、普段の雑談を含めると、どこまで緊張感を持ち対峙(たいじ)したか。胸を張れるほどの自信はない。

 わが社の記者は居合わせなかった、くだんの秘書官発言をオフレコの取り決めを破り先んじて報じた記者の姿勢に感心した。同時に何を言っても書かないと官邸官僚を増長させてしまった私たちメディアも反省せねばならないだろう。

 田勢さんの本には「サミット報道はなぜつまらないのか」という一章もある。日本の報道陣は「外務省お下げ渡しの資料」で横並びの記事を垂れ流していると指摘する。この点で5月に迫った広島サミットの報道を、ぜひ田勢さんに論評してもらいたかった。

 初の被爆地開催で国内外から多くの報道陣が集う。永田町のちっぽけな世界の視点は通じない。地球上の誰しもが核兵器のない世界の「住人」になるにはどうするべきか。その問いを掲げ、取材に臨みたい。

(2023年2月14日朝刊掲載)

年別アーカイブ