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遺品 無言の証人

[無言の証人] ガラス片を抜いたピンセット

負傷者の体に何十も

 あの瞬間、原爆の爆風で粉々になった無数のガラス片を体に浴び、傷を負った人たちが少なくなかった。長さ20センチほどのピンセットは、陸軍船舶砲兵団の衛生兵だった岡富士男さんが負傷者を手当てする際に使ったものだ。

 原爆が投下されてから3日後、焼け跡の臨時救護所へ。そこは足の踏み場がないほどだったと当時25歳の岡さんは手記に書いている。食用油や赤チンで応急処置をしたが、すぐに足りなくなった。負傷者の体にガラス片が何十と突き刺さり、背中の傷に「ピンセットを突っ込むと、ガリガリと音がした」。さらに「取り出すと(患者が)ウンウンうなった」。

 救護所にたどり着いても、瀕死(ひんし)の負傷者はわが名を告げることもできずに力尽きていった。「この世の地獄だった」。そう記した岡さんも、駐屯していた当時の広島女子商業学校(現南区)の校庭で被爆。爆心地から約2・1キロで顔左側に大やけどを負いながら、懸命に救護に向かったのだった。

 ピンセットは、2009年に本人が原爆資料館に寄贈した。(湯浅梨奈)

(2023年2月14日朝刊掲載)

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