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@ひろしまサミットまで 92日 残った屋根

 盛んに展覧会や品評会が開かれていた広島県産業奨励館(現原爆ドーム、広島市中区)も、戦時体制が一層強まった1944年3月末に業務を廃止。内務省中国四国土木出張所や県地方木材会社などの事務所になりました。

 45年8月6日朝、上空約600メートルで原爆がさく裂。爆心地から160メートルの館内で、職員約30人が即死しました。熱線で地表は3千~4千度に達したといい、建物は全焼。ただ、ドーム屋根の中心部は、爆風をほぼ真上から垂直に受けたことで、倒壊を免れました(45年8月20日、尾木正己さん撮影、広島原爆被災撮影者の会提供)。

 今も敷地に散乱するがれきと職員の殉職碑は、ここが悲惨な死の現場だったと、伝えています。(湯浅梨奈)

(2023年2月16日朝刊掲載)

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