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連載・特集

緑地帯 紙谷加寿子 野薔薇のごとく④

 広島市でオペラ団体「野薔薇座」を結成したのは1988年。声楽家の立川清登さんが56歳の若さで亡くなられたあとだ。

 立川さんは東京二期会のドル箱スターだった。クラシックの大衆化に貢献され、テレビ番組「オールスター家族対抗歌合戦」の審査員もされた。私は彼の音楽事務所の専属アーティスト第1号だった。後に故佐藤しのぶさんも。

 そもそものきっかけは、私がイタリア留学帰りと知った立川さんから、ペルゴレージ作曲の「奥様女中」の訳詞を頼まれたことだった。すでに芸大の某教授の訳詞があったが、立川さんは私の新訳「翔(と)んでる小間使い」を採用してくださった。

 初公演は東京・白金の迎賓館。歌手3人が出演するオペラで、立川さんと、二期会の大御所だった佐藤征一郎さん、そして「小間使い」は私が演じた。

 立川さんとは50回近くジョイントコンサートをご一緒させていただいた。米子国際ホテル(米子市)のディナーショーのとき突然、倒れられて入院。そのまま帰らぬ人となった。最後の言葉は「僕の代わりに歌って」だった。

 立川さんの舞台はお客さまへのサービス精神に満ちていた。その姿からは、人の喜ばせ方を学ばせていただいた。そして立川さんの遺志を受け継ぎ、クラシック音楽の大衆化を担おうと決意。その取り組みの一つとして「野薔薇座」を結成した。事務所でいただいた立川さん特製のフルーツサラダは懐かしい。その時、爪の垢(あか)も飲んだ。彼の跡をちゃんと継いでいけてるかしら。(声楽家、野薔薇座代表=広島市)

(2023年2月17日朝刊掲載)

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