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連載・特集

@ひろしまサミットまで 91日 ドーム保存運動

 78年前のあの日、変わり果てた姿となった原爆ドーム(広島市中区)。「見るたび惨状を思い出す」などと撤去を求める声も根強くありました。変化を起こしたのは高校生の訴えです。

 被爆から15年後に白血病で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんは死の前年の8月6日、日記に「あの痛々しい産業奨励館(原爆ドーム)だけが、いつまでも恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろう」とつづっていたのです。心を動かされた被爆者の河本一郎さんが「広島折鶴(おりづる)の会」の小中高生らと署名集めを開始。官民を挙げた運動へと発展し、市議会は1966年に保存を決議しました。96年には、やはり幅広い市民の訴えが実り、世界遺産に登録されました。(新山京子)

(2023年2月17日朝刊掲載)

[広島サミット]

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