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社説・コラム

『潮流』 山から下りるとき

■特別論説委員 宮崎智三

 取材のため、麓から歩いて登ったことがある。広島市の比治山の上にある放射線影響研究所だ。息を切らせて登り切ると、違和感さえ覚えるかまぼこ形の建物が現れる。

 放影研に反感を抱く被爆者は多い。山の上にあるという距離感が影響しているだけではなかろう。前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)時代からデータを取っても治療はしてくれなかったからだ。モルモット扱いされた苦い思いに加え、もともと米国による軍事目的の研究だったことも反発を招いたのではないか。

 ようやく、山から下りてくることになった。「放影研の移転なくして広島の戦後は終わらない」と市は40年以上前から政府に要望してきた。

 移転後の新たな施設の建設計画をまとめるところまで、機運が盛り上がった時期もあった。ところが、米政府が財政難を理由に難色を示して実現しなかった。今回も、費用負担や、広島大との連携の在り方をはじめ乗り越えるべき課題は少なくあるまい。それでも、何度目かの正直で山を下りることができそうだ。

 大事なことを忘れないようにしたい。データの公開である。放影研に衣替えする前からの懸案だ。

 放影研は、多くの被爆者を長年追跡し、放射線による人体への影響に関するデータを蓄積してきた。国際的な放射線防護基準の土台になっている貴重なものだ。ただ、外部の研究者が活用しようにも、制約が結構あるという。

 データ公開は半世紀前、広島の医学・医療に携わる人でつくる「ABCCの在り方を検討する会」が訴えていた。被爆者、ひいては人類のために当然の要望だろう。

 近年、放影研は各種資料のデータベース化や情報共有の仕組みづくりを進めている。山を下りるのを機にさらに開かれた研究所に脱皮できるか。一層の努力が求められている。

(2023年2月18日朝刊掲載)

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