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連載・特集

緑地帯 紙谷加寿子 野薔薇のごとく⑤

 広島で市民オペラ団体「野薔薇座」を結成して35年。よく、団体名の由来を聞かれた。恩師で東京芸術大名誉教授の浅野千鶴子先生(1904~91年)がお弟子さんの会を「のばら会」にしていらしたからだ。

 浅野先生はバラが大好きで、東京・自由が丘にあったご自宅のすてきな庭にはバラが咲き乱れていた。あだ名は「マリア様」。敬虔(けいけん)なクリスチャンでいらして、在俗修道女でもあった。

 猫をこよなく愛され、動物愛護活動にも熱心に取り組まれていた。しかし家には猫嫌いのお手伝いさんがいらして、猫を飼うことはできなかった。

 私の動物好き、バラ好きは浅野先生の影響大である。長野・中軽井沢の別荘には毎年呼んでいただき、ベランダのペンキ塗りもお伝いした。聞かせていただいたレコードから流れるリパッティの澄み切ったピアノの音色はいまだに忘れられない。

 浅野先生は日本歌曲の大御所として音楽史に名を刻まれている。私が主宰する野薔薇座のオペラやミュージカルは日本語で上演している。これも浅野先生の影響だ。

 東京から「加寿子」という名の野薔薇が広島に移植されて40年近くたった。浅野先生と、オペラの大衆化に尽力された声楽家の故立川清登さんという二人の師によって、私の歌手人生の基盤ができた。そして広島の地に根を張った野薔薇加寿子。

 野薔薇は一本ではすぐ枯れてしまう、群れを成して咲く花。もし意地悪な人が近づいてきたら、とげで刺して仲間を守るのよ。 (声楽家、野薔薇座代表=広島市)

(2023年2月18日朝刊掲載)

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