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連載・特集

[ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 「地球益」考えて終戦を 七宝作家 被爆者 田中稔子さん(84)=広島市東区

≪NGO(非政府組織)ピースボートの船に乗って世界を巡ったのを機に、6歳で被爆した体験を国内外で発信し続けている。七宝作家として活躍しながら、近年は自宅アトリエを改築して開放し、平和学習や観光で広島を訪れる人々に命の尊さや核兵器廃絶への思いを訴える。10年ほど前にはロシアやウクライナを訪ね、現地市民と交流した。現地の友を思い、一刻も早い戦闘終結を願う。≫

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 ロシアによる侵攻から始まったウクライナでの戦争がこんなにも長く続き、多くの人の命が奪われている現実に、胸を痛めています。2012年にロシア、ウクライナ、ベラルーシを訪ね、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の被害者や支援者と語り合いました。戦争が始まって以来、現地にいる友人、知人の顔が頭に浮かび、とてもつらい。

 宇宙から見ると地球は一つの船です。そこで戦争なんてしていたら人間は生きられない。核兵器を持って威嚇したり使用したりするなどもってのほかです。「国益」ではなく、地球上に生きる一人一人の人間にとっての「地球益」を考えてくれと、核使用をほのめかすプーチン大統領にも伝えたい。自国の領土を広げるために、人間が殺し合ってどうするのでしょう。国際社会の非暴力の外交努力で、早期に戦争を終わらせてほしいと思います。

 1年前いてもたってもいられず、キーウ(キエフ)で知り合った友人に人づてで連絡を取り、「私に何かできることがないか」と尋ねました。すると「あなたは、核兵器が使われたらどんな恐ろしいことが起きるか証言し続けてください」というメッセージが返ってきました。

 私は爆心地から約2・3キロで被爆し、腕や頭にやけどを負いました。戦後はひどいだるさにも苦しみました。しかしそんな体験は長い間胸に秘め、平和への祈りを創作に込めることで心を癒やしてきました。

 被爆6日前まで住んでいた実家は爆心地の近くにありました。引っ越していた私は助かりましたが、友人の多くは亡くなりました。家族全滅で生死さえ分からない人もいます。まさに跡形もなく消えたんです。現実を知るからこそ、証言活動なんて、とてもできませんでした。

 それでも70歳を過ぎて覚悟を決めました。ピースボートの旅で、南米ベネズエラの市長に掛けられた「被爆者のあなたが語らず誰が語るのか」という言葉に背中を押されました。もの言えぬままなくなった人々の供養であり、私の役目だと、今は思っています。私たち一人一人が行動し、世界を平和の方向に動かさなくては。(聞き手は森田裕美)

(2023年2月24日朝刊掲載)

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