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社説・コラム

社説 ウクライナ危機と日本 平和国家として貢献を

 「今日は生きています」。戦禍に直面するウクライナ東部から広島県内に避難したある家族は現地の両親たちと日々、連絡を取って確かめるという。早く戦争が終わり、帰国して自分たちの言葉で話したい―。切なる願いが実るのはいつだろう。

 きょうでロシアによる侵攻開始から1年になる。日本には2千人以上、中国地方でも72人が祖国を逃れて暮らす。私たちにとっても、むろんウクライナの危機はひとごとではない。

 ただ侵攻当初の衝撃に比べれば連日、報じられてきたロシアの攻撃による惨状や激戦地の攻防に慣れてしまい、いつしか関心が薄らいではいないか。そのことを強く自戒したい。

 この1年、世界は暴挙を重ねるロシアやそれを事実上容認する中国などの国々と、先進7カ国(G7)を軸に対ロシア制裁を強化する国々の分断が深刻化した。冷戦終結で曲がりなりにも築かれた国際秩序が崩壊し、世界経済のグローバル化が滞るさまが浮き彫りになってきた。

 このまま停戦交渉が進まず、戦闘の長期化が避けられないなら日本はどう対応すべきか。国際社会の一員として、より深く貢献する手だてを見いだすとともに、目の前の国民の暮らしを守る責務が岸田政権にはある。

 ただ一連の対応を見ていると不安を抱かざるを得ない。

 物価高や原材料価格の高騰、電気・ガス料金の引き上げ。エネルギーの供給不安が地域経済と国民生活を直撃した現実に対しても、ガソリン補助金に象徴される場当たり的な政策を繰り返した。とどのつまりが原発政策の大転換である。ウクライナ侵攻によるエネルギー危機を理由の一つとして、安全性の検証に不安を残したまま原発運転期間の延長などを一気に進めようとしている。国民の漠然とした電力調達への不安に乗じた側面はどうしても否めない。

 安全保障政策についても同じようなことが言える。ロシアの軍事行動とともに台湾の武力統一を視野に入れる中国への警戒が強まり、日本の防衛戦略が問い直されたのは確かだろう。

 ただ専守防衛の理念を形骸化させかねない敵基地攻撃能力の保有を認める「安保3文書」の決定を急ぎ、詳細や財源をろくに示さないまま防衛費を5年で従来の1・5倍に増額しようとする政権の前のめり姿勢は、仮にロシアの侵攻がなければ生まれなかったかもしれない。

 ことし日本はG7の議長国であり、広島サミットが5月に開かれる。欧米諸国に負けじと、岸田文雄首相のウクライナ訪問も取り沙汰される。ただG7で全ての足並みをそろえる必要があるのだろうか。

 米国を中心に欧米からウクライナへの兵器支援は拡大するばかりだ。対戦車砲、自爆型ドローンから地対空ミサイルシステムへ―。渋るドイツも加わった主力戦車の提供に至った。さらに戦闘機などの供与もささかやれるが、こうした動きは戦争の泥沼化を招く恐れもある。

 日本が後方支援も含め、軍事的な協力態勢と一線を画すのは当然のことだ。医療・民生分野での協力に加え、現地の農業復興に向けた地雷処理を進める機材やノウハウの提供は手段の一つとなり得よう。憲法9条をいただく平和国家ならではの貢献策を考えなければならない。

(2023年2月24日朝刊掲載)

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