×

ニュース

広島で案じる夫の身 侵攻1年 ウクライナから子と避難 懸命に日本語学習「生きるため」

 「いつか戦争は終わる」。戦禍のウクライナから逃れ、広島市内に住むアンナ・テスレンコさん(36)はそう信じながら、母国に残る夫や親類の身の安全を案じる日々を送る。ロシアによる侵略から24日で1年。当初の希望とは裏腹に、戦争は長期化している。終わりの見えない避難生活を、懸命に生きている。(新山京子)

 2月上旬、広島YMCA専門学校(中区)でテスレンコさんが他の受講生と3人で机を並べていた。ウクライナからの避難者向けに同校が無料で提供している語学講座だ。「かんぺき…。それは何ですか」。日本語で質問した。講師の竹原尚子さん(51)から平易な言葉で説明されると、ノートに平仮名とウクライナ語で書き込んでいった。

早くも日常会話

 首都キーウ(キエフ)南東のクリブイリフ出身。長女ディーナさん(10)と長男ヤーリック君(7)の3人で県営住宅に暮らす。「ここで生きるため」、市の紹介で5カ月前から講座に通う。買い物も、子どもの学校との連絡にも日本語は必要だ。親身の指導と猛勉強で、早くも日常会話ができるようになってきた。殿納隆義校長(62)は「心細い時も多いだろう。心のよりどころとして支えていきたい」と話す。

 テスレンコさんの日常は、1年前に一変した。

 空襲警報が鳴るたび地下室へ駆け込む日々。昨年3月末、わが子を連れて逃げると決めた。バスと電車を乗り継いで隣国ポーランドの首都ワルシャワへ。避難拠点の環境は過酷で子どもたちは体調を崩した。「これからどうなるのか。不安で泣いてばかりでした」。短期滞在したことのある日本に昨年4月に入国。ウクライナ出身の友人を頼り、広島市内に身を寄せた。

 死の恐怖からは解放された。わが子が異国の環境に順応してくれることを最優先に、行政や企業からの住居や生活用品の支援を得ながら何とか暮らしている。竹原さんをはじめ周囲の人たちからも励みを得ている。だが夫ディマさん(37)を心配し、胸がつぶれる思いが和らぐことはない。

常に背後で警報

 ウクライナでは戦闘要員となる世代の男性は出国を制限されており、ディマさんは自宅に残る。持病で徴兵は免除され、車の修理や塗装の店を自営する。停電が日常茶飯事。通信アプリ「テレグラム」で一日に何度も連絡を取り合うが、通信状態は悪い。通話中も背後でサイレンが鳴る。

 先月14日、崩壊し、炎と黒煙が上がる近所の高層アパートの写真がディマさんから送られてきた。キーウやドニプロとともにクリブイリフがロシア軍の大規模攻撃を受けた日だ。「戦争が終わるのを待っていられない」。夫を日本へ避難させたいが、現実は難しい。

 「パパに会いたい」。ディーナさんも寂しさを募らせる。ヤーリック君と一緒に広島市内の公立小に通い、徐々に生活に慣れてきたものの、日本の食事が口に合わなかった時や、部屋で過ごす時間が多い時、ふるさとが恋しくなる。スマートフォンで何度も再生しているのは、キーウに家族で遊びに行った週末の幸せぶりがにじむ動画だ。

 わが子から「いつ帰れるの」と聞かれるたび、テスレンコさんもつらい。心の平静を保つため、ウクライナ関連のニュースは見ていない。「だいじょうぶ」がウクライナ語でも日本語でも、口癖になった。

 「今は私が子どもたちを守って生きていく」。涙をこらえ、自分に言い聞かせるようにつぶやいたテスレンコさん。家族そろっての暮らし。早期の戦争終結と帰国。なおも望みをつないでいる。

(2023年2月24日朝刊掲載)

年別アーカイブ