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ウクライナの母へ募る思い 広島に避難の姉妹「穏やかな日々戻って」 被爆から復興 街並みを希望に

 ロシアによるウクライナ侵攻から24日で1年。昨秋、首都キーウ(キエフ)から広島市に避難してきたファジリャ・ボロジナさん(20)、マリアさん(18)姉妹は広島暮らしに慣れてきた。一方で現地に残してきた母親のエディーさん(45)のことが心配でならない。「穏やかな日々が早く戻ってほしい。母に会いたい」(下高充生)

 2月上旬、姉妹を支援するマリモホールディングス(西区)の交流スペースであったパーティー。2人は鉄板に向き合い、手際よく10人分のお好み焼きを焼き上げた。「キャベツ、ネギ、もやし…。お好み焼きに関係する言葉はたくさん覚えた」とマリアさん。昨年11月からお好みソース製造のオタフクソース(同)で社員として働き、お好み焼き教室の準備や手伝いを通じて腕を磨いている。

 1年前のあの日。高校生だったマリアさんに先生からメールが届いた。「今日の授業は中止」。すぐに姉妹の住むキーウ周辺にも戦火が及んだ。自宅近くの病院が壊され、ミサイルの衝撃で家が揺れた。

 「今は多くの国が平和を保つために努力している時代と信じていた。なぜ攻撃されているのか分からなかった」とマリアさん。広島に住む母親の知人から支援プロジェクトを紹介され、娘2人を国外に避難させたいと考えた母親の思いに従った。広島市出身の学生が発案し、県内の企業などが住居を含めた避難者の生活面や仕事探しを支援するプロジェクト「The Path to Peace」。母親は仕事の都合で現地に残った。

 来日して約5カ月。ニュースでは今も連日のように破壊された街の映像が流れる。「大丈夫? 電気は通っている? ガスは?」。電話で尋ねても母親は「日本での仕事や食事はうまくいってる?」と逆に娘たちを気遣う。マリアさんは「私たちだけが安全な場所にいていいのか」との思いも募る。

 来日後もオンラインでウクライナの大学の講義を受けるファジリャさんには、侵攻を機に目標が生まれた。専攻する建築の知識を生かし「ウクライナの街を立て直す事業に関わりたい」。原爆の惨禍から復興した広島の街並みは希望だという。

 節分の日。姉妹は恵方巻きを頰張り、ウクライナの平和を静かに祈った。「ウクライナで家族と食事し、友達に会い、旅行に行く。小さな幸せでいいから、そんな毎日を送りたい」

(2023年2月23日朝刊掲載)

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