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母国語で話せる場所を 人のつながりが欲しい ウクライナから広島への避難者

言葉や就労 尽きぬ悩み

 ロシアによるウクライナ侵攻は多くの避難民を生み出した。広島県内に避難してきた人たちは周囲の支援に感謝しつつ、言葉の壁や就労、住む場所に悩みを抱えている。侵攻から1年を前に、いつまでサポートを受けられるのか不安も募らせる。終戦が見通せず、避難生活の長期化を視野に入れた行政や周囲のフォローも必要になりそうだ。(石井千枝里、下高充生、門戸隆彦)

 「今日は生きています」「良かったです」―。ウクライナ東部ドネツク州から昨年4月、いとこの住む三次市に家族5人で避難してきたブワイロさん一家。交流サイト(SNS)で遠い戦地の状況を確かめ、現地の両親たちと連絡を取り合う日々が続く。「三次は景色がきれいで人も優しい。子どもたちもリラックスできている」と感謝する。

 課題はやはり、言葉の壁だ。「一番の悩みはコミュニケーション。大人も子どもも現地の言葉で話せる場所が欲しい」と妻イリーナさん。パート勤めを始めたが、職場の人と話すにも「スマートフォンの翻訳機能だと全く違う意味になることがある」と戸惑う。教師の夫ディミトルさんはリモートで仕事を再開し、日本語教室に通い続けるのを諦めた。「早く戦争が終わり、帰国して自分たちの言葉で話す。それが最大の望み」と夫妻は訴える。

 避難民の渡航費や生活費を支援している日本財団(東京)の調査でも、多くの人が日常会話に苦労している実態がうかがえる。昨年12月時点で「ほとんど話せない」「簡単な日本語のみ聞き取れる」の合計が8割以上を占めた。

 仕事の紹介や日本人の仲間づくりなどのニーズも高い。首都キーウ(キエフ)から昨年4月に来日し、知人を頼って広島市で長女と暮らすヤノブスカ・ヤナさん(41)は「約20年のキャリアがある歌手として力を発揮したい」と、仕事の機会を待ち望む。

 日本財団から受けている生活費などの支援は「とても感謝している。ただ、いつまでも頼れない」。日本語教室に通い、ネイル店でアルバイトもしながら、英語のポップスなどを歌うコンサート出演の仕事を探す日々だ。「機会を紹介してくれる人のつながりが欲しい」と打ち明ける。

 住まいに関する不安の声も漏れる。ドラハン・レイシャさん(30)は印刷会社で職を得て、昨年10月から広島市東区の公営住宅で暮らす。いまは家賃無料。しかし、「いつまでこの支援があるのか分からない。次の物件を探すのが大変だ」と心配する。

 仕事や趣味を通じて日本に溶け込んできた避難者もいる。ドネツク州出身で約5カ月前から福山市の高齢者福祉施設で清掃や配膳の仕事をしているアンデリー・ゴイディシュさん(38)。地元のサッカーチームの練習に参加するのが楽しみで、以前から好きだったギターの演奏にも関心が向き始めた。「日本の生活は全てが穏やか。私から何かを求めることはない。まずは仕事をしっかりこなしたい」と控えめに語る。

(2023年2月23日朝刊掲載)

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