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連載・特集

ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 被爆建物の証言 感じて 被爆者 中西巌さん(93)=呉市

  ≪あの日、学徒動員されていた広島陸軍被服支廠(ししょう)(現広島市南区)で被爆した。2000年に証言活動を始め、14年には自ら共同代表を務める市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」をつくり、最大級の被爆建物である被服支廠の全4棟を保存するよう訴えてきた。≫

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 ロシアはなんでこんな戦争をするのか。ウクライナ侵攻に、はらわたが煮えくり返る気がする。核兵器の使用が現実になれば、人類が滅亡すると思う。核は本当に恐ろしい。残酷な被爆をしたから、なおさら情けないし、腹が立つ。

 悲惨な光景を忘れることはできない。広島高等師範学校付属中(現広島大付属中)4年生だった15歳の時、被服支廠の建物の外でトラックを待っていたら目の前がピカーと光った。建物の陰にいて無事だったが、避難してきた人に「助けて、助けて」とすがりつかれた。遺体を焼くのと腐るのが混ざった嫌な臭いがし、今でも臭いがトラウマ(心的外傷)になっている。

 全身に放射線を浴びたからでしょう。08年に前立腺がん、18年に腎臓がんが出た。20年にぼうこうがんの手術をし、22年に再発した。核兵器は何十年たっても人を苦しめる。

 被爆者はいつかおらんようになる。被爆建物は「物言わぬ証言者」。銭金じゃない値打ちがある。被服支廠に行くと、亡くなった人の魂が残っていると感じる。だが、3棟を所有する広島県はお金がないという。何もしなければれんがくずになってしまうと思い、市民団体をつくった。私は、全4棟をそのまま残して戦争の愚かさや残虐さを感じてもらうのが一番の利活用と思っている。

 5月の先進7カ国首脳会議(G7サミット)で広島市を訪れる海外の人にも、被服支廠を見てほしい。被服支廠が戦争と核兵器をなくすきっかけの場所になってほしい。私も命のある限りできることをしたい。(聞き手は河野揚)

(2023年3月1日朝刊掲載)

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