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連載・特集

今井政之さんを悼む 手のひらから生命の躍動 創意工夫を極め 平和希求

 文化勲章を受章した陶芸家の手のひらは、思ったより小さい。長さ17センチほど。90歳を超えても、柔軟な感触を保つ。握手は力強い。

 「焼き物は総合芸術」と唱えた今井政之さん。土と格闘して己の魂を作品に込める手のひらが見たいとお願いし、じっくりと観察した。「いい作品を、と力が入るので、小指が両手とも曲がってしまってね。職業柄だよ」と豪快に笑っていた。心身の若々しさこそが、総合芸術に生涯をささげた原動力だった。

 文化勲章、日本芸術院会員、広島県名誉県民…。多くの栄誉を得た今井さんには三つの顔がある。まず、創意工夫を極める実践力。さらに、芸術の感性を理系の知識で裏打ちする姿勢。そして、被爆地広島との地縁を出発点とした核兵器廃絶への強い信念だ。

 一つ目の創意工夫は、面象嵌(ぞうがん)の技法だ。土台の土に対し、別の色合いの土をはめ込んでモチーフを表現し、炎の作用で一体化させる。30代ごろから取り組み、独自の今井象嵌を確立。表現の幅が広がり、モチーフとする生き物は多彩さを増した。

 そのモチーフ探しは旅先でも。石垣島の魚介類は生け捕りにされ、竹原に連れ帰られた。強い創作意欲は、鉛筆の下書きスケッチに投影された。「基本をおろそかにしない」の言葉通り、精緻そのもの。基本を極めた上でのオリジナル作品だと感じ入った。

 創意を支えたのは理系の知識だ。ものづくりの面白さに目覚めたのは、戦時中の軍需工場勤めの時。金属の特性を実践で学んだ。鉛を溶かし銅の精製もした。吸収した知識は創作に存分に生かした。

 代名詞の象嵌だが最初は失敗の連続。焼き上げる際の収縮を計算しながら13~15%縮む土を使ったり、赤や黄を出すための金属酸化物の縮みやすい特性をぱっと暗算したり。試行錯誤し新境地を切り開いた。

 核兵器廃絶に心を込めたのは、「平和を築いて初めて、芸術に専念できる」との強い信念から。14歳の夏、竹原市で原爆投下を目撃。京都市在住ながら竹原に豊山窯(ほうざんがま)を築き、創作の拠点とした。2009年のオバマ米大統領(当時)のプラハ演説に共鳴。核なき世界の呼びかけを受けて「芸術で表現したい」と、原爆ドームを題材とした陶額をホワイトハウスに贈った。

 22年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻。核大国の威嚇を憂いた。「とにかく平和を取り戻さないと」と繰り返し訴えた。

 「あなたの個性を生かしなさい」。10年6~7月、文化面「生きて」の連載で取材し、聞いた言葉だ。多くの弟子が、温かい励ましを胸に羽ばたいた。

 ぶしつけな質問をしたことがある。「今井さんは才能があるので、個性が花開いた。才能を見いだしにくい私たちはどうすれば」。即答が返ってきた。「まず、したいことを見つける。行動するうちに、目指す道が見えてくるから」

 陶芸界の第一人者は、失敗の効用を説いた。「100%成功し続けるなんて、あり得ない。私も失敗を経てきた。失敗から学び、成功の母へと転じさせることができるかどうか」。少し沈黙した後、きっぱりとした口調の京都弁で、こう締めくくった。「そこが人生の分かれ道なんですな」(白石誠)

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 今井政之さんは6日死去、92歳。

(2023年3月7日朝刊掲載)

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