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連載・特集

「ゲン」削除 あるべき姿は 広島市教委の平和教材 愛読者3人が紙上討論

 広島市教委が2023年度の平和教育プログラムの見直しで、教材の「ひろしま平和ノート」から漫画「はだしのゲン」の引用部分を削除する案を示し、波紋が広がっている。市民団体が撤回を求める要請書を市教委に提出し、ネット署名も始まった。問題の核心はどこにあるのか、あるべき平和教育の方向性とは―。「ゲン」の愛読者を自任し、それぞれの見解を交流サイト(SNS)などで発信している3人に、紙上討論の形で語ってもらった。(編集委員・道面雅量)

大小田伸二さん(ミュージシャン)

禁書化ではない 冷静に

 音楽活動の傍ら、2005年から毎年8月6日を発行日に「TO FUTURE(未来へ)」という無料のジン(個人誌)を5千部の規模で配布している。被爆者や反核運動のリーダーへのインタビューを載せ、「はだしのゲン」の作者の故中沢啓治さんには2度、登場いただいた。

 ゲンも中沢先生も大好きだから、「削除」のニュースにとっさに怒りを覚え、市教委に「撤回しないのか」と電話をかけた。しかし、担当者とやりとりする中で、考えを修正した。「ゲンがいい漫画かどうか」で熱くなるのは筋違いだ、と。小学3年生に向けた平和教材に何がふさわしいか、教育の現場に立つ人たちが検討した結果、教材の一部を変更する方針になっただけ。結果的にゲンは削除されたが、排除されたのではない。そこはシンプルに受け止める必要がある。

 現行の平和ノートには、ゲンが身重の母に食べさせようと他人の家のコイを盗んだり、家計の助けにと学校をサボって路上で浪曲をうなって稼いだりするシーンが引用されている。今の小3の大多数にとって、コイの泳ぐ池のある家も浪曲も、縁遠いのは確かだ。特に若い教員には、限られた授業時間で子どもにうまく伝えるのはハードルが高いとみるのが自然と思う。

 このたび、ゲンに替わって採用される予定の被爆者の家族の物語を知った。絵本「いわたくんちのおばあちゃん」(主婦の友社)にも描かれた物語というので、読んでみて、涙がこぼれた。平和ノートがゲンの引用によって伝えようとした「家族の絆」が、形を変えてひしひしと伝わってくる。市内在住のご家族にも直接、会って話させていただいた。

 ゲンと比較するつもりは毛頭ない。ただ、削除にいきり立つ人には、その前に読んでほしいと思う。私には、「いわたくんち」への改訂が、大好きなゲンからのバトンの受け渡しにさえ思えた。次号の「TO FUTURE」でも、何らかの形で触れられないかと考えている。

 今回、ゲンが「禁書」にされたわけではない。そこは冷静に認識したい。ゲンは10年前に平和ノートができる前から読まれてきたし、平和ノートの世代ではない僕が出合ってきたように、出合い方はいろいろある。ゲンはそんなに、やわな漫画じゃない。

おおこだ・しんじ
 1965年尾道市生まれ。「ガイ」の名でハードコアパンクのバンド活動を続け、広島市中区でディスクショップも経営する。

東琢磨さん(評論家、会社員)

時代の空気 危うさ思う

 平和ノートの「はだしのゲン」の引用部分について、広島市教委の資料は「浪曲の場面は児童の実態に合わない」「コイを盗む描写は誤解を与える」などと課題を挙げ、今回の削除に至ったとしているが、納得できない。時代のギャップを超えて浪曲という芸能の面白さを伝えたり、ゲンがコイを盗まざるを得なかった理由を一緒に考えたりするのが教育ではないか。

 小学3年生には難しいというなら、もっと高学年で採用すればいいと思う。今回、ゲンに替わって採用される予定の物語についての絵本「いわたくんちのおばあちゃん」を手にとってみたが、本当にすばらしく、教材としての可能性を感じた。しかし、ゲンを削除する必要はないはずだ。せっかく一度は採用したのだから、生かす方向で考えるべきだろう。

 なぜ、ゲン削除への抗議がこれほど広がったのか。教材の一部分の問題にとどまらない、象徴的な意味を読み取る人が多いということだ。ゲンという作品が発するメッセージが、広島の平和教育から除かれようとしているのではという危惧といっていい。

 平和ノートへの引用部分ではないが、ゲンの作中には「鮫島伝次郎」という印象的な人物が登場する。敗戦までは町内会長として戦意高揚にまい進し、戦後は昔から戦争反対派、平和の戦士だったと言って政治活動をする。今、先進7カ国首脳会議(G7サミット)を前に、広島市では盛んに「平和の発信」が言われるが、日本有数の軍都だった歴史がまるで語られないようであれば、どことなく似た構図になりはしないだろうか。

 ゲンは伝次郎を強く批判し、対決する。それがゲンの精神、作者の中沢さんの精神だ。「発信力」を育てることを重視する新しい平和ノートの案からは、ゲンが削除された。改訂を検討した担当者には全く他意はないにしても、私はそこに「時代の空気」があるように感じてしまう。

 ともあれ平和教育は、学校で、平和ノートを通じてのみされるものではない。とりわけ被爆体験の継承は、ひそやかで親密な空間でなされる方がふさわしく思う。「いわたくんちのおばあちゃん」も、原爆で亡くなった家族の写真を巡る物語であり、教室の外でのそうした営みを促す力に注目している。

ひがし・たくま
 1964年庄原市生まれ、広島市育ち。2005年から同市を拠点に評論活動。著書に「全-世界音楽論」「ヒロシマ独立論」など。

川口隆行さん(広島大大学院教授)

教育の「目標」に注目を

 現行の平和ノートにおける「はだしのゲン」の引用部分は、よく工夫されていると思う。作品そのものの魅力としては、被爆の焦土を駆け回る少年ゲンのアナーキーな生命力を挙げたいが、「家族の絆」という切り口にすることで、学校教材にかろうじて取り入れたように思える。削除するのはもったいない。

 ただ、削除撤回を求めて署名集めするといった動きには首をかしげる。今回の改訂は、平和教育の新たな目標設定に基づき、それにふさわしい教材の在り方を担当者が議論して決めたものと受け止めている。2012年、松江市教委が市内の小中学校に学校図書館での閲覧制限を求めた(のちに撤回)のとは、問題の質が違う。

 今のところ、外部の圧力を受けての削除という構図は見受けられない。もし圧力があったとしたら、話は全く別だが。署名活動は、ゲンの価値を理解する人々の善意から発していても、逆向きの圧力となりかねない。ゲンが、外部のさまざまな圧力にさらされる「面倒な作品」として、若い教員に敬遠されるだけに終わることを恐れる。

 大事なのは、ゲン削除の是非ではなく、広島市の平和教育が何を目指そうとしているのかを見据えることだろう。市教委の資料によると、今回の改訂の観点として「被爆の実相の理解・継承」「学び、考えたことを発信する力」が重視されている。ゲンのページについては、この発信力を意識して「ゲンの気持ちを考えることにとどまり、自分が平和について考えたことを伝える学習になっていない」と課題が指摘されている。

 だが、小学3年生がゲンの気持ちを考えることにとどまって、果たして悪いだろうか。早急に発信力を求めても、中身は平板で底の浅いものにならないだろうか。

 G7サミットの広島開催(5月19~21日)を控え、被爆の歴史が「平和発信のコンテンツ」のように語られている印象を持つことが増えた。もし、そんな傾向が子どもたちの教育現場にも下りてきているとしたら問題だ。「発信」以前に、朝鮮半島出身者を含む多様な被爆者の、言葉にならない痛みを想像する力をこそ育ててほしい。新たな教材の潜在力を引き出す、あるいは教材だけに頼らない、現場の教員に期待したい。

かわぐち・たかゆき
 1971年福岡県生まれ。広島大、同大学院で学ぶ。東海大(台湾)教員などを経て現職。専門は日本近現代文学、言語教育・平和教育。

ひろしま平和ノート
 広島市教委が2013年度から市立の全小中高校に配り、活用を促している。小学1~3年向けは、命の尊さを伝えるのが狙い。漫画「はだしのゲン」の引用は3年向けの項に登場する(全29ページのうち実質6ページ)。小学4~6年は被爆地の復興にテーマを広げ、中学は世界平和の課題、高校では平和実現へ向けたヒロシマの役割を学ぶ。今回、平和教育プログラムの見直しに伴う10年ぶりの一部改訂へ、主に教諭で構成する作業部会と、大学教授たち識者を交えた検証会議、改訂会議を重ねてきた。

(2023年3月7日朝刊掲載)

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