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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第1部 軍都への歩み 市の誕生

城下町のなごり 色濃く

 戦前の広島は、よく「軍都」あるいは「学都」と言われる。これらの言葉は当時の広島の特徴をよく表しているが、二つの性格は必ずしも同時並行的に形成されたものではない。時代的には「軍都広島」が先行し、遅れて「学都広島」が充実していくという経過をたどる。第一部では、広島市の誕生から軍都としての性格が強まる明治三十年代ごろまでを見ていく。

執事が市長候補

 広島に市制が施行され、広島市が誕生したのは明治二十二(一八八九)年四月一日。全国に最初に誕生した三十一市の一つとしてである。市になる前は「広島区」と呼ばれていた。区には官選の区長はいたが区会はなく、条例・規則の制定権もなかった。区から市になることによって初めて独立した法人となり、自治体として認められたのである。

 そのころの市長は市会が選んだ候補者三名から天皇の裁可によって決定することになっていた。市会が最初の市長の第一候補に選んだのは、旧藩主浅野家の家扶(かふ)(執事)を務めていた石川完治だった。旧藩主の影響力がまだ大きかったことをうかがわせるが、石川は就任裁可と同時に辞退した。あらためて市会議長で医師の三木達(あきら)が選ばれ、初代広島市長となった。

役所は藩の米蔵

 また、広島市役所には、中島新町(現在の中区中島町)にあった旧広島区役所がそのまま使われた。そこは、もともとは広島藩の米蔵だった建物である。

 このように、市制施行当時の広島は、まだ城下町としてのなごりを色濃く残していた。それを払拭(ふっしょく)し、近代都市へと変ぼうしていく過程は、そのまま軍都への歩みと重なる。軍都広島に大きな役割を果たす宇品港(現在の広島港)の完成が、広島市の誕生と同じ年だったことが象徴的である。(広島城学芸員・村上宣昭)

(2008年4月6日朝刊掲載)

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