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近代発 見果てぬ民主Ⅵ <7> 妥協とカオス 「閥族打破」結束崩れ 汚職も

 旧自由党系が元老伊藤博文と合流した立憲政友会は、大正政変まで万年与党だった。鉄道・港湾整備などの積極策で地主有権者を引きつけ、藩閥や官僚とも妥協してきた。

 大正元(1912)年12月に憲政擁護運動を始めた立憲国民党の犬養毅(いぬかいつよし)は改進党の出身。政友会と提携して民権運動以来の民党連合による藩閥打倒を目指す。老練な犬養は一方で原敬(たかし)らが率いる政友会を疑っていた。「いつかは妥協する」と。

 長州閥の第3次桂太郎内閣が護憲運動で倒れると、その通りになる。

 元老会議が推薦した薩摩閥で海軍軍人の山本権兵衛(ごんべえ)に組閣大命が下った。最大政党の政友会は「閥族打破」の看板を下ろし支える側に回る。政友会が閣僚を出し、その主義綱領による内閣運営が条件だった。

 立憲政治のために藩閥勢力排除を唱えた運動は一過性だった。

 山本内閣は仕事はした。陸海軍大臣の現役将官制を予備・後備も可と改正し、懸案の行政整理も断行。ところが内閣発足から1年足らずの大正3(14)年1月、シーメンス事件という海軍の一大汚職が発覚した。

 世論は猛反発し、野党も攻勢に出る。憤る群衆数万が院外に押し寄せた2月10日、内務大臣の原は数の力で内閣弾劾上奏案を否決。海軍拡張費を含む予算案も衆院通過させた。

 程なく巡洋艦発注を巡る収賄容疑で呉鎮守府司令長官にまで家宅捜索の手が伸びた。底なしの様相を呈する腐敗に国民の怒りは頂点に。

 広島市と海軍お膝元の呉市でも3月11日昼夜に事件問責の政談演説会があり、各3千余の聴衆で埋まった。当日の中国新聞に「近来稀(まれ)に見る盛大なる演説会に」との予想記事と会の告知が載っている。

 同紙と芸備日日新聞は、年初からの営業税全廃運動では共に廃税を主張。海軍汚職問題でも歩調をそろえ、演説会当日に広島県下新聞記者大会を開いて内閣総辞職を求めた。

 怒る民衆と言論界の後押しで、貴族院が海軍拡張予算の新規分を削る荒療治に出る。予算不成立を受け、山本内閣は3月24日に総辞職した。

 藩閥と万年与党による妥協の政治は限界を迎えていた。陸・海軍に貴族院も入り乱れてカオス(混沌(こんとん))の時代の到来となる。(山城滋)

シーメンス事件
 ドイツや英国企業と海軍幹部との贈収賄事件。巡洋艦金剛の発注に関しては、英国企業代理店の三井物産からの収賄容疑で呉鎮守府司令長官の松本和が収監された。シーメンスは発端となったドイツ企業名。

(2023年3月9日朝刊掲)

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